すっぴんぶろぐ

すっぴんぶろぐ:ビーサンとTシャツで追い返されて笑ってるそんなラフなミニマパッカー人生が丁度いい。元完璧主義ニートのズボラ主婦が言い訳と開き直りを繰り返しながらダラけた健康な生き方を探すライフログ

馬鹿にするのも自由「自分探しの旅(笑)」逃げ出した先にあったものとは

2016/12/16

 

ラオス

ちょっくらラオスより

「自分探しの旅はない、旅したぐらいで自分なんて見つかるもんか」と誰かが言った。誰もが、言った

私は頷きそして各々の言葉を飲み込み旅の目的について沈黙を続けた

 

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それがどうした

「自分探しの旅はない」そう言われた、としてもだ。自分探しの旅はある。それが自分が期待していた形と違ってもだ。
なぜなら、旅行中、普遍なものは自分自身以外に何もないからだ。景色が変わり、挨拶の言葉がかわり、出会う人々は常に変動する。そぎ落としていく身の回りの不要の物、必要に迫られ購入した品物。そんな中で唯一変わらず自分が感じていられる、この目で見ることが出来るのは、この自分自身以外には何もない。

ここに自分を発見する。

現実逃避

日常から逃げ出しても、自分がいる所に「日常」は現れる。自分が日常だから。どんなに夢のような体験をしても、以前では考えも付かなかった体験をしても、地獄をみても、それは「現実」である。それでは「自分自身」を感じるしかない。

自国で纏った(まとった)しがらみや生活、ニオイ、息苦しさに耐えるために被った見えないマスクや鎧。そういう物が、新しい街の宿の温かいシャワーで少しずつ流され、次の町の水シャワーで剥がれ落ち、たどり着いた村の、川から汲み上げた茶色いシャワーで溶かされて行く。

辺鄙な村の宿から川を眺めて朝の背伸びをする自分はいつの間にか裸にされて、荷物すら持っていないかのような錯覚に襲われる。

自分探しの旅

旅は何も解決しない

旅は何かを解決したり何かを変えたりはしないかもしれない。でも少なからず、自分は自分だという事に気付かされる。
自国では、自分がどこにいるのかわからない毎日、夜寝ているうちに、休んでいるうちに自分の一部がドンドン先の時間に進んで行って肝心の本体が置いてきぼりを喰らっているあの感覚、またはその逆の感覚。

毎日少しずつ自分がバラバラになっていく感じ、気がついたら手も足もなくなってるんじゃないかという不安。今は何とか先走る自分の一部たちを追いかけられているつもりでもいつの間にか・・・

旅とは

そうして見失った自分の一部たちを徐々に集めて、いやむしろ、そういう物を徐々にそぎ落として行く事が旅かもしれない。必死に繋ぎとめ探していた物は、本来必要な物ですらなかったのかもしれない。
そんな事を思いながらのぞむメコン、旅終盤ラオス、ドンデット。
旅のエッセイ、小説風でした。

2011/07/12/233052

 

 

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