消えたい。無能で価値がない自分に価値を与えてくれたアメリカの路線バスの話

2017/05/19

私は、いい子になろうとしてなれませんでした。

立派になりたかったのに、将来来るであろう就職活動が怖くて大学を中退しました。

ちょっと意味が分からないかもしれません。うまく説明できません。。

でも道を見失って、自分が信じていた全てが信じられなくなって、それから自分を無価値な人間だと信じて疑わなくなった。

それの経緯や、その時の事については、何度も何度も書いたんだけど、どうしてもまとまらないから今は書かないことにする。

 

だけど、どうしても、今自分を無価値だと思っている人に伝えたいことがあって、それだけでも書いてみたいと思います。

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ここではないどこかへ

ちょっと贅沢な話だけど、アメリカへ一人で逃げ出した。

家族から、自分から、ここから、とにかくここではないどこかへ行きたかった。私を知っているすべての人の記憶から消えたかった。

私にはそれが初めての海外で、それまでアメリカなんてミーハーみたいで大嫌いだった。

それでも行ったのは、「おいで」っていってくれた友達がいたから。

 

そして、その人が「みんなと一緒」の「日本」から出て行ったことが私をその気にさせた。

私はそのころ、日本にいる友達、他人、親族全員がプレッシャーだった。

 

大学に行って、バイトをして、あと数年で就職活動だね~なんて話して。カラオケオールして。

普通に親戚の集まりに出て、冠婚葬祭をこなして、人と会って、人と遊んで。

周りのみんなと歩幅を合わせられて、人を気遣えて、幹事ができて、サラダをお皿に取り分けて、お化粧をして、ちょっとした時にはスカートとヒールを履く。

 

営業スマイルが完璧で、いらっしゃいませと申し訳ございませんのお辞儀の角度を調節して、クレームににこやかに対応して。

全てがプレッシャーだった。

私はどれもできなかったし、語弊があるかもしれないけどたいした責任もない学生のバイトですら出来なかった。

働かざる者食うべからず、人並みの人付き合いもできないうえに一人で生きていく力(働く力)すらない無能な人間だと思っていた。

 

怖くない友達がまだ残っていた

アメリカの友達は、小学校からの親友だったけどその時には疎遠だった。

ちょうど何かのきっかけでメールが来て、私が大学を辞めたことを伝えた。

私の家族のことまでよく知るその子は、大学を辞めたことを聞いて何かを感じとってくれた。

 

そして、私は何も言ってないのに「もしかして調子悪いのかな?アメリカに遊びに来なよ!」と言ってくれた。

その子は社交辞令なんて言わない子。自分がやりたいことしかやらない子。

返事のない私にすぐさま乗り換えの空港の地図と必要な英単語を送ってくれた。

 

こういうところが私を安心させた。私の気持ちなんか無視して自分が思ったことをする。おいでとおもったらこうやってどんどん送り付けてくる。こっちの事情なんかお構いなし。そういう人が私を安心させた。

 

音を立てて切れるしがらみの糸

昔一度だけ働けたときのお給料を握りしめて、アメリカへ逃げるように旅立った。

どうせ日本にいても生きながら死んでいるようなもの、初めての飛行機が落ちようが、アメリカで銃撃戦に巻き込まれようが、どうでもよかった。

むしろそれの方が都合がいいと思った。

今の状況から逃げ出せる可能性があるならなんでもよかった。

 

現に、日本ではいろいろなところに逃げ出した。

でもどこに行っても何も変わらなった。当然だ。アメリカに行ったって何も変わるはずがない。

そう思っていた。

 

ブチブチブチ

飛行機が離陸して、空へ向かうときの重力をとても強く感じ、とてもよく覚えている。

地面に引っ張られる体。

それでも空に向かって、私のことを誰も知らない世界へ向けて、私を縛っていた地面から伸びている糸がぶちぶちと切れる音が聞こえた。

 

涙腺に絡みついていた糸が切れたように私はボロボロ泣きました。

それまで人前で泣いたことがなかったのに、涙が止まらなかった。

 

次に地面に降りたら誰も私をしらない。

そう思うと、ここ数年感じたことのない安堵感が襲ってきた。

 

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当たり前が当たり前じゃなくなった瞬間

アメリカでは、当たり前にできていたことが何もできなくなった。

買い物をするにも一苦労、欲しい物がどこにあるのかを聞くこともできない。

紅茶を注文するにも、システムがわからない。

ファーストフードで飲み物が飲み放題なことに気が付かない。

道案内の看板が読めない。何処に行けばいいのかわからない。

甘くない飲み物を探せない。

 

あんな大声で話している人が何を言っているかわからない

私の知りたいこと以外なにも聞こえてこない。

知りたいことすら聞こえてこない。

雑音が雑音ではなくなる。

 

また逆に、

全ての人の言葉をすべての意味をしっかり理解しなくてもだれも私のことを怒らないし、不快にも思わない

だって私は、どこをどう見ても外国人なわけだ。

 

こんなに外に出るのが怖くないのはいつぶりだろうか。

肥大して凝り固まった自意識がどんどん小さくなっていく。

完璧を求めず、失敗が怖くなくなった。

 

気が楽く

私は、ちょっとしたことでも親から「ほんっとに気が利かないんだから」と言われてきた。

だから常に人を観察して、人が求めていることを言われる前に手助けすることを試されてきた。

 

それをしなくてもいい!!

というかできない!!だって何言ってるかわからないんだもの!!!

 

価値を与えてくれた路線バス

当たり前があたりまえじゃなくなったことだけで、もう価値観が変わり始めていた。

それでも、必要なのは買いものくらいで、買い物は無言でも品物を出せば買い物ができる。

 

でもバスは違った。

ある日私は、一人で路線バスに乗る用事ができた。

アメリカの路線バスは日本のようにバス停の印がない。

みんな景色で覚えているらしい。

 

一人ではバスにも乗れない

バスに乗るくらい簡単だと思っていた。

友達にバス停まで送ってもらいバス降り場の地図を日本語で書いてもらった

 

日本では、知り合いに聞くのが怖かった。

どこかに看板はあるし、道行く人に聞けばわかるし、自分で調べればわかることばかりだった。

人に連れて行ってもらうなんてことは恥ずかしいことだと思っていた。

 

バスの乗り方がわからない

ようやくバスが来て、バスに乗ることになるけど、乗り方がわからない。

完璧主義の私は、お金をいつ払うのかそれがわからなくてバスが来ることが不安だった。

流れに身を任せるなんて想像したこともなかった。

 

お金を払うとき、運転手さんの説明がわからない。

今払えと言われているのか?

後で払えと言われているのか?

それすらわからない。

 

だけど、だれも不快な顔はしない。

私がポカーンとしているとお客さんが一生懸命説明してくれる。

もちろん英語なんだけど、私が英語をわからないことは十分承知していて、それでも手の離せない運転手の代わりに身振り手振りで説明してくれる。

 

感動した。

 

日本だったら一言「後払いだよ」とかで終わってしまう。

だって私は日本人だから、それだけでわかる。それが当然。

 

日本では運転手さんがめんどくさそうに説明する。それを社内の人が聞き耳を立てている。

私は自意識過剰で、「そんなこともわからないのかよ、前もって調べておけよ」と言われているような気がしていた。

 

バスに一人で乗れて当然。

説明してもらうなんて迷惑をかけていることと同じだと思っていた。

 

降りるバス停がわからない

もちろん降りるバス停の景色はわからない。友達に聞いていたバス停の名前(番号?)を伝えて、おろしてもらう。

ここでも、誰かの世話にならないと降りることすらできない。

当たり前に降りていた日本のバス。

知らないところだってバス停の名前を前もって調べて、アナウンスを聞いて降りることが当たり前だった。

 

価値観を変えてくれたアメリカ旅行(まとめ)

日本ではなんでも出来るようにならないといけないと思っていた。

一人でなんでもこなさないといけないと思っていた。

手伝ってもらうことは迷惑をかけることだと思っていた。

 

それがアメリカではどうだろう。

一人ではバスにも乗れない、一人で満足に買い物もできない。

知らない人に沢山助けてもらう。

友達がいないと、どこにも行けない。

 

バスに乗るだけで長編映画が出来ちゃうんじゃないかって言うくらいの大冒険だった。

そしてそれができた時、もう日本では味わうことのできないとんでもない達成感を得られた

達成感は、自分に生きる「価値」を与えてくれた

(手伝ってもらったけど)一人でバスに乗れた

こんな知らないところで右も左もわからないところでバスに乗って移動ができた

 

何もできないと思っていた自分がバスに乗れた

 

私はアメリカで一人では何にもできなかった。

日本に電話することも、映画を見ることも。全て友達に助けてもらった

 

そしてアメリカで私は知りました

自分は一人では何もできないこと

そしてそれは当然で何も恥ずかしいことではないということ
これは価値観を変える大きな要素でした。

出来ないことがあるのは当然と知りました。

それを知って、生きることが楽になりました。

 

完璧になんてできなくたって、生きていていいし、わからないことがあったって生きていていい。

だって、自分はアメリカに来て何も変わっていない何一つダメなままなのに、バスに一人で乗れただけで価値が生まれる。

 

自分を褒められるところってもっともっとたくさん転がっているはず。朝起きられた。ご飯一人で食べられた。一人でお風呂にはいれた。そういうことだって、私たちはできない時期があって出来るようになって、それってお祝いするような出来事だったはず。それを勝手に大きくなって、みんなが「できて当たり前」になっただけ。

そう思った。

雑記

うまくまとまらなかった。そのうち編集か続きを書くかするかもしれません。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

私の今の行き当たりばったりの生き方はここから生まれました。

逆に、同居人の完璧主事と融通が利かないところは昔の自分を見ているようです。

そんなところも面白おかしくブログにかけたらいいな~

 

 

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