半分青いのスズメは「働かざる者食うべからず」と言われてもなぜ能天気でいられるのか

こんばんにちは、ミニマパッカーの吉永です

半分、青い

というドラマ、今やってるのですが、それはみててもみてなくても大丈夫で、その中の主人公が離婚して子供を連れて実家にいきなり帰ってきました

そこで、働かないで実家暮らしを満喫?していたところに、母親に、タイトルのセリフを言われて、職探しをするのです。

私は今専業主婦で子供がいて、離婚こそしてませんが働いている両親がいる実家に転がり込みました(夫共々)

こんな中ドラマの中で、別に私が言われたわけじゃないのに、そのセリフを聞いて、申し訳ない気持ちで落ち着きがなくなりました。

私は過去に、ニートになる”前”に「働かざる者食うべからず」の言葉で、働きたくない、働なそうな自分の全てを否定された気がして

気が気じゃなかったし、言い訳ですが追い詰められすぎてうつ病にもなりました。

そんな事を今朝の朝ドラを見ながら思い出しましたが、

楡野鈴愛(スズメ)は、町中の人に心配されてても、あっけらかんとしていて

その点においては尊敬してしまいました(笑)

そこで、今日は、

過去の私と、スズメの違いはなんなのか、考えてみました。

それは

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「自分」の価値を、働くこととは切り離して考えられることにあるのではないかと

当たり前のことを思ったわけです

 

つまり、

働いてる働いてない関係なく

楡野鈴愛と言う人間が家族や友達にそのままで受け入れられている

と言う安心感が彼女にはあるのではないかと。

 

まずその土台があって

そういう土地があって

働いてる

とか

子供を産んだ

とか

離婚した

というのは

あくまで、その土から枝分かれしている要素の一つでしかない

という安心感が、あるのではないかと

思ったわけです

ちょっと例えにはならないんだけど

私がイメージしたのは

まずは地球という、素晴らしい土台があって

その上で森や川が壊されても

温暖化になっても

「地球」というのは素晴らしい存在であることには変わりません

その地上で何が起こってても、それはまた別の問題で

今は環境が破壊されて、宇宙からみたら「最近の地球はダメだな」

って言われても

それはそういう一面(そういう時代)があるというだけで

また何万年もかけて

何かを学び取って

新たに再生する

そういう流れみたいなのがあって

その中の一時期の「状況」ってだけなのではないかと。

地上でヒッチャカメッチャカされてても「地球」という土台が素晴らしい者であることは変わらない

 

それが本能?経験?的にわかっているスズメと

自分の中の一部分でもダメなところがある=完璧じゃない=価値がない

「完璧にならないと価値がない」としか思えずに、わかっていなかった私

という違いなのかなと。

 

例えば挨拶ができなかった私は、挨拶以外は普通の子供だったはずなのに、挨拶ができないだけで「挨拶ができなくてダメな子」と言われたこととか、まぁその他色々あるけど、悪いところだけ切り取られてしまうと、自分の価値ってわからなくなるんだなと。思いました。

 

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