私は、「かっこいい人」になりたかったです
だけどなれなかった
自分が思うかっこいい人とは真逆にいる
自立はできていないし、車の運転もしたくない
子育てをしているというステータスに逃げたのに
その子育ても全然楽しくないし、「ちゃんとした親」にもなれない
そして、それでもいいじゃん
って、それしか生きていく方法がないから
いきているからそれでいいじゃんって
自分の中のもう一人がいつもささやく
だから、私は、(自分が思う)ダメな自分を受け入れて生きている
だけど、本当は、いつでも納得してない
このブログを通して、ダメな自分でいいじゃないかって
人には言っているけど
本当は全然納得してない
高校生の時、友達の誰よりも早く車の免許を取得した
その理由は「かっこいいから」
しかも、男ならまだしも
女でそこまで早く車の免許を取る人はいなかったし
年をとっても、車が運転できる女でいたかった
だけど、30を過ぎてこう感じる
私にとって車の運転は楽しくないのに
運転しないとなっておもうのは
「運転できたほうがかっこいいから」
「他の女の人に出来て、私にできないわけがない。悔しい」
ただそれだけの理由だ
だって、私が置かれている環境は車の運転なんてできなくても生活できる
子供を連れての買い物だって、荷台がない自転車より、車の方が楽だけど
それでも、下の子をわざわざかごを開けるためにおんぶして、上の子を後ろに乗せて
たった一つのかごに、入るくらいに買い物を抑えて買い物する方が
車で行くより圧倒的に腰軽く、気軽に行ける
だけど、いうんだよ
自分が
「車があるでしょ。本当は一気に買い物した方がいいでしょ」って。
でも、私がしないのは、「したくないから」ただそれだけなんだろとおもう
理想の自分じゃないのにあきらめて生きる理由と方法
車の話題だけじゃなくて
すべてにおいて自分の理想とは違うし、今の自分を本当の意味で受け入れてないのに
なんで、受け入れて生きているのか
ちょっと考えた
というか、考えるきっかけがあった
そして気が付いたんだけど
理想の自分に近づくための「努力」をするくらいなら
今のモヤモヤした気持ちを抱えて、妥協して今の人生をなんとなくダラダラ生きているほうが
「楽」なんだと思う
楽な方がいいし
頑張ることは素晴らしいし、気が向けば頑張ればいいけど
そこに「無理して頑張る」が少しでも入るのは、結局
ただのストレスなんだと思う
私はこんな記事を書いたことがあって
≫いつも一歩踏み出せないあなたへ|頭ではわかっていても行動できない理由
それは「頑張れないのはその時じゃないから」って持論がある
私をふくめ人は
「頑張る=無理してつらいけど先に進むこと」だと思ってるけど
そんな「頑張り」なんてしなくてよくて
やりたいとか、必要に迫られて気が付いたら「やっていた」
その「やっていた=頑張ってた」なんだとおもう
やりたくないこちはやらなくていいのかもしれない
つまりなにがいいたいかってのは
やりたくないことはやらなくていいんじゃないかなってことだ
理想の自分じゃないのは生きていくうえでずっとかかえるストレスだけれど
そのストレスを排除するために何かをやる気力がわかないなら
それは、今抱えてるストレスが、一番小さいストレスですんでるってこと
とまぁ、
せっかくできた自分の時間をお金にならない事つぶやきに費やしてる吉永なのでした(笑)
ほかにやることいっぱいあるだろーーーーーーー!!
以上です
追伸
ブログの更新は滞ってますが、ちまちまやっていく予定です
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