こんばんにちは、ミニマパッカーの吉永です
今日言いたいことは、幸せは未来にない、小さな幸せの見つけ方
です
私だって幸せになりたい。そう考えてた過去の私へ
幸せはなるものじゃない、感じるものだよ。と、その理由を教えたいです
ちょっと前置きが長くなりますが、背景を知ってもらうためにお付き合いください
私、最近の楽しみが帰ってきた夫と海外ドラマのDVDを一話ずつ見ることです
ちなみにスーパーマンの高校生の頃の話「スモールビル」って海外ドラマが面白くって面白くって・・・で、
そんな毎日を過ごして気が付いたことがあります
幸せは未来にあると思っていた私の小さな幸せの見つけ方です
是非、八方ふさがりでつらいあなたのお時間をくださいな
自分の為にブラック企業へ務めた夫
ブラック企業と書きましたが、人間関係はそこまで悪くないのが救い。でも残業代は出ないのに終わらない仕事量、休みの日なのに誰かがやればいいことで呼び出される謎の指令、帰宅が遅かったことを知っているはずなのに早朝にかかってくる電話
まぁ今回の本題からずれちゃうので軽く軽くw
私と結婚するために、急いで就職した結果です
本当は取りたい資格があって学校にいく予定だった、それを私の事を考えて就職したんですよね
人の為ってそれ誰の問題?
でも、これは「彼が決めたこと」ですよね
私が脅迫したわけじゃない、勝手に履歴書書いたわけじゃない、それでも、何かあると「私がいなければ」と思わざる負えないし、実際に彼もそう思ってる(言われたことがある)
でも、ここで私ができるのは、「懺悔」でも「後悔」でもなく、「感謝」と「尊敬」なんだなって、こう思えるのは生きる勇気を垣間見た初海外旅行で学んだから
だから、私は人よりズボラで家事能力のない妻だけど、たくさん笑って、彼と一緒のときに「とっても私は幸せですよ」って伝えたいんです
こうやって幸せを伝えることで幸せが伝染していくことを知りました
めちゃめちゃ恥ずかしい事書いてるけどね
だからやりたいことはやってほしいし、欲しいものは買ってもらいたい、彼が好きで一緒に見たいと思ったものは一緒に見たい
あれ?この記事小さな幸せの見つけ方だったよねw
戻そう、うん
幸せは未来にあると思っていた
夫は帰ってくる時間が遅くて、休日が合わなかったりしてあまり一緒の時間が取れない月が多いんだけど、その中でこうやっておもしろい海外ドラマを見つけて1時間程度毎日一緒にみるんです
それをふとお風呂に入りながら「あ~今日は一緒にみれるかな~?」なんて楽しみにしてる自分がいるんですよね(ん?これはただ単にドラマの続きがきになry)
お風呂でじんわり体があったまって「あ~幸せだな~」って”感じる”わけなんです
昔の私は、幸せというのは「一つ一つの人生のチェックポイントをこなして行けば未来に目に見える形で待っている」と思っていた
大学に行って、就職して、結婚するか、一人で好きに生きるかを選んで、あれをしてこれをして、って人生の教科書通りのレールの上の分岐点を超えていけば超えていくほど、どこかに「幸せ駅」があると思っていた
でも、私は人生のレールに乗り損ねて、ため込んだ地図を片手にどこにも行けなくなった
関連>プロフィール
私はたかが20前後の小娘でレールから外れたけど、自分では一つ一つチェックポイントを必死に超えてきたつもりだった(ただの挫折知らずが陥った典型的挫折だったけど)
でも、頑張ったのに、我慢してきたのに、待っていたのは信じていたものが報われない事実だった
「頑張っても無駄だったんだな」そう思ったらもう、どこにも行けなかった
何をしても無駄になるとしか思えなかった
人生に大きな意味を期待しすぎた
私は、結局自分が思っていたより大したことない人間だったわけなんだけど、それまでは一緒にいる人を「幸せになってもらうために3色食事を作って、あれをしてあげなきゃ、これをしなきゃ」って、自分が全然楽しめなくてイライラしてばかりでした。でも何でも公式を求めすぎてて意味を求めすぎていたことに気が付いて、自分というのがわかって、やっと「自分の価値はありのままでいることでいい」がわかった
人生に大きな意味と自分に期待しすぎて、人の期待に応えることばかり考えていたから、「できない事」ばかりに目が行っていた
関連>価値のない自分に価値を与えたものは何の変哲もないバスだった
それじゃぁ幸せ駅にはいつになってもたどり着けないレールの上にいるようなもの
それにレールなんてどこにもないし、幸せ駅なんて自分でどこにだって作れるものだった
幸せは”なる”ものじゃなくて”感じる”もの
これは、私の言葉じゃないんだけど、どこかで見た言葉
その時、私はそれなりに生きる勇気は手に入れていて、なんとか這いつくばって生き抜こうとゆらゆらしてた頃
だけど、その言葉の意味がわからなかった
でも今ではこの言葉を理解できるし、こんなにわかりやすい言葉はないなと思う
「なる」と「感じる」の違いはうまく説明できないんだけど、幸せを感じられるような自分にならないと幸せにはなれないってことだよね
これが小さな幸せの見つけ方、幸せの在り処、幸せは感じるもの
当たり前は当たり前じゃない
前の私なら「そんなの”幸せ”とかじゃないでしょ」と思った、当たり前のものを当たり前だと信じていたから
電気が付くのも当たり前、水道が通っているのも当たり前、就職できて当たり前、料理できて当たり前、みんなが出来ているから自分もできて当たり前
私はたかが、就職したくなくて、料理がしたくなくて、あれこれできなくて、それだけで生きている価値がないと思ってた、だから一緒にいる人だって疲れちゃう
でも、私には、ブログを書くことが”できる”、前の人が落としたハンカチを拾ってあげることが”できる”、外に出かけることが”できる”ようになった、生きることが”できる”
それが何?って気持ちよくわかる、でもこうやって自分を肯定してあげることで私は生きている
幸せを感じると幸せになれる
はたから見たら「幸せ」な自分だけど、その「幸せ」を自分が感じてなかったらまったく意味のないもの
それはただ単に「恵まれている」だけ
恵まれているからってその人が幸せかどうかなんてわからないし、むしろ恵まれているのに幸せを感じていないもどかしさやうしろめたさ、言い訳できないやりきれなさなんかが出ててくるんじゃないかな
こう考えられるようになるのはミニマリスト的考え方なんだと思う
シンプルに、ありのままに背伸びせず受け入れると、幸せって感じられることは沢山転がっている
うちの夫くんにも、こうなってほしいけど、自分がなれなかった時の気持ちもわかるから難しい
人から聞いた話って、どこか別の世界の話みたいで、「自分で気が付く」まで何も理解できなかった
その「きっかけ」も、どこにあってそれがなんなのか、それは誰にもわからなくて、どうにもできない
私のように「生きる勇気を得るチャンス」に出会えればよいんだけどなぁ
だからこれを読んで、ピンとこないあなたの事も理解できる
それでも、ここまで読んでいただいてありがとう
まとめ
幸せには自分から歩み寄らないといけないから勇気がいるし 、考え方を変える不安とつらさがあるのかも知れない。
だけど幸せは自分からみつけることによって人にも自分の中に浸透してきて、感覚も拡散されて
何でもかんでも幸せに感じる事ができるようになってくる。
うちは朝起きない妻だし
料理だってまともにできない、
≫物を捨てても変わらない私の致命的にダメな所が幸せを運んでくれた
はたから見たらダメダメの信じられない主婦だけど、
それでも夫婦仲良く暮らしているし夫も「幸せだ~」って言ってくれる。
もちろん、日によっては幸せを感じられないダメな日もあるんだけど、今よりマシになりますよ!それを願っております!
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