料理苦痛さんは絶対読んでほしい土井先生の一汁一菜はレベルが違った

何って一汁一切は手抜きではないと言い切っておられます
ご飯と具沢山お味噌汁にお漬物(またはここでもお味噌をご飯のお供に)が、本来の和食家庭料理そのもの

一番の料理なのだ

 

と。

 

それから、子供だろうが旦那さんだろうが、いつも料理を作ってるあなたに用事があるときは、

「適当に食べて」でいいのです

何も用意しておかなくていい

 

そして、その内容を大きく信じてしまう要素は、「和食にこだわることはない」と和食のプロがおっしゃってることでした

 

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一汁一菜は手抜きではない

こう言った考えは、家事をらくしようとしてできたものではありません。(略)手抜きしたなんて思うと、自分がいちばんいやな気持ちになるものでしょう。

P22

もう言葉もない

これは衝撃でした。

もうこの一文だけで、本の全てを語っています

いかに手を抜くかがこのブログ趣旨だったのですが、手抜きに後ろめたさがあるからこそ、正当化したいんです。それを、根底から救ってくれる、それが土井先生だったのですね(驚愕)

 

 

一汁二菜をお膳に正しく並べた画像に「今日は手抜きしちゃった」と言葉を添えてつぶやいています。(略)少し自慢してるのでしょうか。(略)単純なものを下に見る風潮がお料理する人自身のハードルを上げ、苦しめることになっているのです

P23

もう言葉もない。

 

家庭料理に「一手間」はいらない

そのプレッシャーをまともに受け取った忙しい人が、加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングしたりして、それがまた「手をかけること=お料理すること」という錯覚を助長させています」

P23

もう言葉もない。

ボキャブラリーの崩壊

もう言葉もないです

そして、それこそ手抜きだとおっしゃっています

 

私は昔、今で言うシェアハウスに住んでいた時があるのですが、

私はニートで料理もできなくて、肉を塩胡椒で焼いて、きゅうり漬けと、わかめと豆腐の味噌汁みたいなの食べてました

そこに、仕事掛け持ちでいつも忙しくしている料理上手な少し年上のお姉さんがいて仲良くさせてもらってました

 

シェアハウスといってもすごく大きくて共同キッチンにはいつも20人以上いました

 

その中で料理をするのですが、お姉さんはいつもインスタント物に「一手間」加えていて、私やそれを見る周りの人はいつもお姉さんを偉いなーと感心?していました

 

例えば温めるだけの麻婆豆腐に、自分で買ってきたひき肉やラー油?や見たこともないような調味料を入れてました

 

土井先生の本を読んでも私はそれが「手抜き」とは思わないけど、だからと言ってそれが美味しい一手間とも読んだ後は思わないし、それができずに肉を焼いただけの自分に劣等感があったけど、そんなこともなかったんだなと改めて思いました

 

そのお姉さんは自分が料理好きで自分好みに調節してただけなのでいいのですが、私はそれを見て、そうすることこそが、お肉を塩胡椒で焼くだけよりも手間をかけてることだと、この本を読むまで思っていました

そして、それをしない自分は時短とかに頼ることもできない本物のズボラななんだおもいこんでました

 

パートナー(夫など)に変に気を使うことはない

自分の帰りが遅い時、作りたくない時

パートナーに「適当に食べておいてね」といえばよいのです。その方が適当に自由に食べられるのですから、放っておけばよいのです。一人とは気楽なものです。(略)食の乱れでもなんでもなんでもありません。当たり前のことです。

P77

もう言葉もありません

泣いてもいいですか?

 

その方が、自由に食べれる!

食の乱れでもなんでもない!

 

泣いてもいいですか?

今、モールのベンチで書いてますが、泣いてもいいですか?

目がウルウルしております

これを読んだのは実は数ヶ月前で、その時すでに涙腺崩壊でしたが

また泣いてもいいですか?

 

これは、本当に、夫だけではなくカップ麺にお湯を入れられるくらいにはなった子供にもそれでいいと思います

 

私の母は、私の記憶がある限り、食事どきに母がいなかったことはほどんどありませんでした

 

ただ、近所のお通夜の手伝いなどの時は、必ず、父と私の食事の支度が

「いつもより丁寧に」してありました

 

それに、父は母に友達と出かけることも快く思ってなかったので、どうしてもの時は、家事も完璧にして食事の支度も文句の言われる隙を与えないようにしてから出かけていました

 

昼食でさえでした

 

私はそれを見て、母たるものはそうであるものだと思っていたし、自分もそうしないといけないと思っていました

だから結婚は無理だと思ってた

 

でも、私がうつ病になってから母は私の看病?で家をあけることが増え、そのタイミングでこっそり?友達と遊びや夕飯にも行くようになりました

 

食餌の支度をしておくことは、誰かの自由を奪うことだった

父の食事は相変わらず用意していましたが、私の急なパニックに駆けつけてくれたときは父は

「自分で適当に食べる」ことを始めました

 

母は、今でも名残で自分がいないときは(それ以来、たまーになら外出できるようになった)夕飯を用意して、私に出すように説明していきます

 

だけと、父は、それを食べずに、私を連れて飲みにいったり、違うものを自分で買ってきて食べたりします

 

母が作ったものを食べろよって気持ちもありますが、そうじゃなくて、多分、料理はしないし母がご飯を用意しておくのが当然と思っている父でさえ好きに自由に食べることができるのです

 

それに、母が外出していて待てなくて父はお腹が空いて(というか飲みたくて)自分でハムを出して飲み出したり出来るんです

そして、最近はそれで母を怒ることもなくなりました

 

子供も同じ、選択の自由を

子供の私も同じです

食餌の用意がしてあるありがたみというのは、確かにあるけど、なければないで自分でできるんです

 

私が小学生の時、友達の家に遊びにいきました

そのときは昼時で、いつもはお母さんがいるんだけど、ちょっと用事ができちゃったから適当に食べてねと言ってた出かけていきました

その日、友達は私にチャーハンを作ってくれました

 

そのとき私は、適当なお母さんだなと思ったのを覚えています

そして、同時に料理もできない自分と友達の手際の良さを目の当たりにして複雑な思いを抱きました

 

だけど、そんなこと(適当母)は全然なくて

(今でも付き合いがありますが、うちの母より過干渉で心配性です)

 

それが当たり前でなんも不思議なことはなかったんです

 

友達はもっと前からまたに一人で食べていて、前はパンだけだったり、白いご飯だけだったりしてたみたいですが、別に誰に強要されたわけでもなく自分で「好きに」料理を始めたそうです

 

のちに私は他の友達の家でも同じことが起きていたのを知りました

御飯時に親がいなくて適当に食べてたんです

 

 

私も、たしか一人で適当に食べてね、を確か体験したこともあったと思います(もっと大きくなってから)

確か、昼

 

そのとき、私は適当に食べました

 

たけど、そのあと、母に何を食べたのか逐一聞かれたり、野菜食べなかったのねとか、母の理想の献立を掲げられ、それじゃダメだからと作ってくれるようになった気もします

その時たぶん私は高校生だった気がします

 

小学生から自分で食べていたその子と高校生になってもダメ出しされる食事しか取れない自分を比べて、がっかりしました

 

もちろんありがたいけど、

たまに好きに適当に食べた時くらい、食の乱れでもなんでもないのです

 

まかせればいいんだし

任せて口出しして欲しくない

 

その違和感がこの本で、救われた気もしました

 

母は、母したいようにしただけなのでいいのですが、(子供の体を思ってのこと)

結婚して子供ができて、それができないズボラな自分を責めるのではなく、

食事の支度に気を使わなくていいこと、むしろ、食事の支度をしない日こそ、夫や子供が自由に自分の好きなものを食べられる自由を与えているのですね

 

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一汁三菜、一日三十品目の洗脳と悪夢

私は、一汁三菜、プラス小鉢沢山、一日三十品目食べたり作らないと、生きていけない、体の調子が悪くなると思い込んでいました

本当だと思っていたし、

たまにラーメンとか、ご飯だけとか食べると怒られていたし

今でも料理がかなり苦痛です

 

作ったとしても一汁二菜が精一杯だし、品目だって5品目くらいがいい方…

肉ともやしの炒め物で終わりの2品目とかザラ

腹は満たされても不安は解消されずに、罪悪感だけが作れば作るほど肥大していました(それを解決してくれたのは断食経験とヨシケイです)

 

そして、土井先生のこの本

 

一汁一菜でよい提案のあらすじ

本の大部分を占めるのは「味噌」の素晴らしさや、自分一人用の味噌汁

家族用の味噌汁

少し背伸びをした味噌汁(トマト入れてみたり魚入れてみたり、豪華)

とか、のバリエーションや作り方の紹介でしたが(そこは読み飛ばした(笑))

 

冒頭の一汁一菜でよいと言う提案

は、本当に素晴らしい内容でした

手抜き料理は世に沢山ある

だけど、手を抜いたという罪悪感は自分を苦しめる

そこまでちゃんと理解してくれていて、

そうじゃなくて簡単に美味しく体に優しくそれを手抜きじゃないと思わせてくれる根拠を提示してくれる

この本はとても良かったです

 

ズボラな私にはすこしきついところもありましたが、それでも、土井先生の愛が伝わります

 

ズボラな私にはきつかった部分

料理の下ごしらえ

下ごしらえは最近は手抜きだ時短だと短縮する風潮があるが

下ごしらえはやるのが当然、

下ごしらえを頑張る事、これは「手の込んだ料理」とは言いません

 

とか

 

日本の風習の時に作る料理はやはり本物の手の込んだものにする、そのメリハリが大事ということろ

 

この二つの部分は、

なんだか辛かったです

私は行事ものが義務感で辛いのでやめてるので。

 

「手の込んだ」の定義とかも忘れちゃったけど、なんか良かったんですよ

 

 

一汁一菜は手抜きというキラキラ?フリー雑誌

一汁一菜フリーペーパー

同じ時にフリーペーパーでもらった

「一汁一菜特集」みたいなのには、

たまにはママも休もう

手を抜いて一汁一菜”でも”いいんですよ

と言う内容でした

しかもその「一菜」の作り方がめんどくさい..という…

それを読んでやっぱりそういうことかーとがっかりしてたところに図書館で土井先生の借りてきて読んだら

とても良かったですね

 

まぁ半分しか読めなくて返却したが(笑)

 

だって途中からは味噌の素晴らしさとか献立(味噌汁の具)例とかだったからさー

 

 

ですが、

夫は一汁一菜を嫌がります

一汁一菜がよいことは理解してくれても、やっぱり、さみしいですからね…

ということで献立考える苦痛なのでヨシケイ頼んでます

ヨシケイも我が家には痛い出費なので、一汁一菜にしたい…

 

ただ、朝食は5時ごろ食べていくので私は寝ています

何を食べまたのかは聞きません

(同居して母は毎日私に感想を言ってるけど…)

夫が食べない献立の時は、私と子供だけ食べて夫の分もあるけど、嫌なら好きに作ってもらってます

 

以前私は、子供の分(と私)と、夫の分を別に作ってましたが、作らなくていいというのでやめました

任せればいいのです

夫の分がないわけじゃなくて作ったけど食べないやは夫の勝手です

次の日に私のお昼にすればwin-winです

 

土井先生の本を読むと知れること

  • 一汁一菜は手抜きではないという衝撃的根拠
  • 「手をかけるのこと=お料理すること」ではないという料理のプロの驚きの考え方
  • 何故一汁一菜で良いのか、雑誌では教えてくれない食材の秘密(玄米じゃなくて白米でOK)
  • 適当に食べてもらうことの魅力

 

 

▼読むのは図書館でいいですが、とりあえずAmazonのレビューを以下から読んでみてください!それだけで料理嫌いは心が軽くなると思う

土井先生の一汁一菜を読んで救われたい方はこちらから

ただ、味噌汁の献立は役に立つから家にあると嬉しいかもなーと(まぁあってもいちいち本開いてレシピ確認しなそうだけど(笑))

大事なことなので二回目!土井先生の一汁一菜を読んで救われたい方はこちらから

 

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