生きるのも死ぬのも面倒くさい、元引きこもりの専業主婦ビーチサンダル吉永です。
毎日、「今日のご飯、何にしよう……」って考えるだけで吐き気がしてました。一汁三菜、1日30品目作らなきゃいけないという「理想」の洗脳に縛られて、罪悪感でパンパンになっていたんです。
別に30品目なんて作らなくたっていいって思っていても心のどこかで引っかかりがありました。
そんな、料理が苦痛でたまらない私を根底から救ってくれた一冊は、””土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』””です。
土井先生は、たまにテレビとかで料理されてますが、面白い方です(笑)
「焦がし醤油は焦がさないように、でも焦がしたい、乙女心のようなものですわ」みたいなこと言ってが気がする(笑)
そしてこれ、ただの料理本じゃないですよ。「生き方」の救世主です。
「一汁一菜」は手抜きではないという衝撃
まず、この本が真っ先に教えてくれるのは、「一汁一菜は手抜きではない」という力強い肯定です。土井先生はこう言い切っています。
一汁一菜とは、ただの和食献立のすすめではありません。一汁一菜というシステムであり、思想であり、美学であり、生き方だと思うのです
一汁一菜でよいという提案 |土井 善晴P22
一汁二菜をお膳に正しく並べた画像に「今日は手抜きしちゃった」と言葉を添えてつぶやいています。(略)少し自慢してるのでしょうか。(略)単純なものを下に見る風潮がお料理する人自身のハードルを上げ、苦しめることになっているのです
一汁一菜でよいという提案 |土井 善晴P23
私たちはSNSを参考にしているようで勝手にハードルを上げて苦しんでいる。気にしないようにしててもその通りだな~と改めて気が付きました。でも、ご飯と具沢山の味噌汁、それにお漬物。これこそが本来の和食であり、最も理にかなった食事なんだと、言い切ってくださってます。これが心地よい。
そして、土井先生の言葉で一番衝撃だったのはこれ。
「手抜きしたなんて思うと、自分がいちばんいやな気持ちになるものでしょう」
一汁一菜でよいという提案 |土井 善晴P22
泣いていいですか?
もう一度、言います
「手抜きしたなんて思うと、自分がいちばんいやな気持ちになるものでしょう」
そう、私は「楽をすること」よりも「楽をして申し訳ないと思う罪悪感」に殺されていたんですよね。
私がずっと勘違いしていた「ひと手間」の正体
ここで私の苦い体験談を。昔、シェアハウスに住んでいた頃、料理上手な年上のお姉さんがいました。彼女は市販の麻婆豆腐の素に、ひき肉やラー油を足して「ひと手間」加えていたんです。
当時の私はニートで料理もできず、肉を塩胡椒で焼くだけ。そんな自分を「一手間もかけられないダメな人間だ」と卑下していました。でも、土井先生はこう指摘します。
「加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングしたりして、それがまた『手をかけること=お料理すること』という錯覚を助長させています」
一汁一菜でよいという提案 |土井 善晴
もちろんこの方法だって正解なんだと思います、でも、それを見て勝手に落ち込むのは話が違うんじゃないかと今は気が付きました。これこそが、むしろ「手抜き」の本質なんだと。素材をそのまま焼く、煮る。それで十分なんです。「ひと手間」の呪いから解き放たれた瞬間、ショッピングモールのベンチで読んでいて涙が出そうになりました。
「適当に食べて」は、相手に自由を与えることだった
もう一つ、私の価値観をひっくり返したのは、家族への食事の出し方です。
「パートナーに『適当に食べておいてね』といえばよいのです。その方が適当に自由に食べられるのですから、放っておけばよいのです。一人とは気楽なものです。食の乱れでもなんでもありません。当たり前のことです」
一汁一菜でよいという提案 |土井 善晴
泣いてもいいですか?(二回目)
夫、そして父の話
私の母は自由に外出できませんでした。それでも外出しないとけないときは、父に怒られる隙をみせないように父の食事や家事を完璧にしていました。私はそれを見て「母親とはそうあるべきだ」と思い込み、だから結婚なんて無理だと思っていました。
でも、実際はどうでしょう。私がうつ病になり、母と父の関係も少し変わってきたころです、母が急用で不在の時、父は自分でハムを出して飲み始めたり、私を外食に連れて行ったりと、意外と**「自由に食べる楽しさ」**を満喫していたんです。なんだ一人でもできるんじゃん。て心の中で思いました。
子供へ「適当に食べてね」は許されるのかの話
この土井先生の言葉で、「あぁ、私のあの違和感はこれだったんだ」って、パズルがハマったような感覚になった、長年の胸のつかえが取れたエピソードがもう一つあります
- 「チャーハンを作れる友達」と「ダメ出しされる私」
私が小学生の頃、友達の家に遊びに行ったら、お母さんが不在でした。 「用事があるから適当に食べてね」と書き置きがあって、その子は当たり前のように自分でチャーハンを作って私に振る舞ってくれたんです。
当時の私は、正直こう思いました。 「適当なお母さんなのかな?」って。でも、 料理もできない自分と、手際よく作る友達を比べて、なんだか複雑な気持ちになったのも覚えています。
でも、事実は逆でした。 その友達は、誰に強要されるでもなく「今日はパンにしようかな」「白いご飯だけにしようかな」と試行錯誤するうちに、自分で「好きに」料理する自由を、親から与えられていただけだったんです。 - 高校生になっても続いた「献立の尋問」
一方で、私の母は真逆でした。 私が高校生になっても、たまに留守番をさせれば、帰宅後に「何を食べたの?」「野菜は食べたの?」と逐一チェックが入ります。 母の「理想の献立」から外れていれば、「それじゃダメ」と言われる。
正直、ありがたかったいことです。でも、同時に「がっかり」もしていたんです。 小学生でチャーハンを作れる子がいる一方で、私は高校生になっても、母の顔色を伺いながらまともに料理もできない。「しっかりした子」からかけ離れていました。
そんな経験も思い出しながら、食事を用意しすぎることは、時に相手の「何を食べようか」という自由を奪うことでもあった。そう気づいてからは、夫に「適当に食べてね」とドヤ顔で言えるようになりました。
ズボラな私たちがこの本をどう読むべきか?
ぶっちゃけると、この本、7割くらいはお味噌の素晴らしさやレシピの話です。 また、土井先生はプロなので、「下ごしらえはやって当然」といったズボラには耳が痛い話も出てきます。
なので、私はそこは**「聞かなかったこと」**にしています(笑)。
私たちが受け取るべきは、以下の部分だけで十分です。
• 品数は重要じゃない。具沢山味噌汁があれば栄養は満点
• 「適当に食べて」は、家族への信頼と自由の譲渡
• 一汁一菜という「型」を持つことで、献立を考えるストレスから解放される
▼「毎日ちゃんとしなきゃ」と疲れているなら、ぜひAmazonのレビューだけでも読んでみてください。それだけで心がフッと軽くなるはずです。
実は「一汁一菜」は知っていたけど、罪悪感があった

実は、土井先生の本を読む前から、一汁一菜という手があるのは知っていました。でも、土井先生のこの本に出合うまで、この方法は「たまには手抜きを」という扱いでした。
しかもその「一菜」の作り方が私にはハードルが高くて落ち込んでました(笑)
それを読んでやっぱり世の中の手抜きや簡単料理でさえ、私にはつらいな~怠け者だしな~とがっかりしてました
でもこの思い込みが、自分を余計に追い込んでいたので、土井先生のこの言葉達に、すくわれることになりました。
一汁一菜を家族にふるまってみた結果
しかぁぁぁぁし!そうは問屋が卸さぬ!
夫は一汁一菜を嫌がりました。(子供が生まれる前)
一汁一菜がよいことは理解してくれても、やっぱり、働き盛りの夕飯がこれではさみしいですからね…
何を隠そう、私も、食べるのが好きなので気持ちがわかりました、当時は。
だからこそ、罪悪感を完全に消すことはできませんでした
土井先生の教えで『献立に悩まされない一汁一菜という方法』に救われたけど、家族の理解が得られない。「任せる」は出来るようになったけど、さすがに毎日任せる!は罪悪感がまだありました。
そこで、献立作成のストレスをゼロにしつつ、家族も満足する我が家の『方法』として選んだのがヨシケイでした。
≫【結論食べない!】偏食3歳児の幼児食に宅食ヨシケイやってみた口コミ
嫌がる家族への対応・一汁一菜とヨシケイに出会ってからの家族の変化
夕飯をヨシケイにすることによって、「何もしていない」罪悪感はなくなり、「適当に食べて」スキル発動できるようになりました。
ここの罪悪感はなくなりました
夫は、朝食を5時ごろ食べていくので私は寝ています
何を食べたのかは聞きません
以前は、気にして聞いていたり、準備して置いたり、母から「朝は何を作ってあげてるの?」とヤジが入りましたが
「適当に食べてね」でいいのです(ドヤ!)
夫は最初ヨシケイの安いコースでは満足感がなくて嫌がっていましたが、そのうち自分で鶏肉とか茹でて食べ始めました。
ヨシケイを嫌がる夫に対して私は罪悪感がありましたが、
「これこそが土井先生の言う『食べる側の自由』なんだ」と言い聞かせていくうちに、今では罪悪感もなくなりました。
任せればいいのです(ドヤ)
そうしているうちに、夫も自分で作るめんどくささとヨシケイの健康度を天秤にかけはじめ「ヨシケイで一応満腹になるんだからもういいや」といってヨシケイで満足するようになりました
そして子供も生まれたり、一汁一菜の影響で”任せた結果”夫にも食事を作ってもらう機会が増えて、
挙句の果てには「ヨシケイがあるって安心感がすごい」と、夫までヨシケイの虜になりました
まとめ:料理のプレッシャーで死にそうなあなたへ
そんな感じで我が家は毎日一汁一菜を実践しているわけはありません。
ただ、献立からは解放されました。
基本的には夕飯はヨシケイに頼りつつ、足りないときや夫が嫌な献立の時は「適当に食べて」で済ませています。
一汁一菜という考え方を知ったおかげで、品数が少なくても罪悪感はなくなりました。これが料理全てにおいてとても大きな救済になってます
▼我が家の夫が最終的に『安心感がすごい』と虜になったヨシケイについてはこちらにまとめました
≫【結論食べない!】偏食3歳児の幼児食に宅食ヨシケイやってみた口コミ
自分で考えなくていいこと(献立)を考えて、今に集中できないのはもったいない! 一汁一菜の考え方でもっと気楽に生きていきましょう。

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