感謝はする「べき」ではないです
言葉遊びで申し訳ないですが、感謝はするものであり
強制されるものではないと思うんです
そして、感謝することは人生を良い方向に変える、それは本当だと思います
でも、私は感謝をしなければならないということから逃げ出したら、人生が良い方向に向かいました
私のように感謝が義務になっているあなたは今は、感謝はしなくていいんです
なんでそんなこと言いだしたかと言うと、感謝できない自分がいて今がとてもつらいあなたにお伝えしたいことがあって書いてます
編集中
当たり前は当たり前
何事にも感謝しろと教わってきますよね
私たちは、日々生かされている
当たり前のことなど1つもない
今日食べられることは奇跡
歩けることは奇跡
明日があるとは思うな
何をするにも当たり前と思わず感謝をしろと言われてきました
幼心に、そうなんだろうなって思ってました
でも、正直、毎日毎日、逐一、感謝できませんでした
自分のことで精一杯でした
今こうなったのは日々の感謝が足りないからだ
だけど、感謝ってどうやるの?
仏壇の前で手を合わせればいいの?
夜寝る前に「今日もありがとうございました」と言えばいいの?
誰に何を言えばいいの?
親に言葉で言うなんで嫌だ恥ずかしい
感謝してる自分を見せるのは悔しい
感謝を実感として感じる前から言われていたので、頭でわかるけど心でわからないというか、、「感謝する気持ち」がどんなものかわからなくなってたんです
気持ちじゃなくて、「何をすればいいのか」だけを考えていました
心のないロボットでも、何かをやれば感謝してるということになる。そういうイメージで考えていました
私は今でもそうですが、
感謝という言葉がきらいです
感謝していない(感謝を伝えていない)自分が嫌だからです
そんな私でも、
感謝することの意味に気がつけたのは、感謝したくなった体験があったからでした
感謝は湧き上がってくるもので
感謝する「べき」もの
ではないんです
人から言われたから義務感で感謝してもつらいだけです
酷なようですが、一度感謝をできなくて痛い目見て、ああ、感謝ってこういうことか、ってきがついてから、感謝すればいいと思います
世の中が親孝行や感謝で盛り上がってても焦ることないです
人生を良くしたいなら感謝をやめよう
「感謝しなければ」をやめれば、感謝できるようになります
大切なのは、感謝することではなくて、日々のそういう当たり前の幸せに気がつくことです
感謝すれば人生が良い方向に行くのではなくて、感謝することによって日々の小さな何気ないことに「ありがたいなー幸せだなー」って、「感じること」によって人生が変わるんだなって思いました
だって、私は感謝をずっとしてきてるつもりだった、でもそれは心からの感謝じゃなかったし、感謝しなきゃしなきゃと思うほど、自分自身の価値がないような気がして人生は辛いものでした
それに、私はうつ病になった時思ったんです
神様なんかいないじゃないか、誰も私の頑張りを認めてくれないじゃないか、誰も私の行いを見てくれてなかったじゃないか。
そう思う自分がいるからこそ何かに見放されたんだなって矛盾の嵐でした
それに反して?自分以外のすべてがありがたすぎる大きな存在で、自分は生きていてはいけない存在、空気を吸っているのが申し訳ないって思いました
でも、アメリカ旅行がきっかけで思いました
心の声なんて誰にも聞こえてないんです。自分の願いは声に出して、他人に主張して、自分のわがままを通して行動してこそ叶うんです
感謝してないで自分を幸せにすることを考えてください。
もっとわがままになっていいんです。自分がどう感じるか、自分がどうしたいかを考えていいんですよ
何もできない自分を卑下してばかりだった私がそう考えられるようになり、生きるのが楽になった手順をメルマガでお届けしています
その他関連記事
https://suppinblog.com/how-to-be-happy
感謝することをやめて気が付いた、大切なのは感謝することじゃなくて「ありがたみを感じること」の私の実例
▼感謝できてなくてもあなたには価値があります
特にコメント欄に救われます
▼感謝する本当の意味を知ったきっかけ
≫甘えは悪!と思ってた私が、甘え方と感謝を学んだアメリカ旅行の〇〇〇〇とは?
▼感謝する「本当の意味」を知って感謝をやめた話
▼感謝が強要と感じる一例