感謝はするべきではない論

この記事は約4分で読めます。

感謝はする「べき」ではないです

言葉遊びで申し訳ないですが、感謝はするものであり

強制されるものではないと思うんです

 

そして、感謝することは人生を良い方向に変える、それは本当だと思います

でも、私は感謝をしなければならないということから逃げ出したら、人生が良い方向に向かいました

 

私のように感謝が義務になっているあなたは今は、感謝はしなくていいんです

なんでそんなこと言いだしたかと言うと、感謝できない自分がいて今がとてもつらいあなたにお伝えしたいことがあって書いてます

編集中

 

当たり前は当たり前

何事にも感謝しろと教わってきますよね

 

私たちは、日々生かされている

当たり前のことなど1つもない

今日食べられることは奇跡

歩けることは奇跡

明日があるとは思うな

 

何をするにも当たり前と思わず感謝をしろと言われてきました

 

幼心に、そうなんだろうなって思ってました

 

でも、正直、毎日毎日、逐一、感謝できませんでした

自分のことで精一杯でした

 

今こうなったのは日々の感謝が足りないからだ

だけど、感謝ってどうやるの?

仏壇の前で手を合わせればいいの?

夜寝る前に「今日もありがとうございました」と言えばいいの?

誰に何を言えばいいの?

親に言葉で言うなんで嫌だ恥ずかしい

感謝してる自分を見せるのは悔しい

 

感謝を実感として感じる前から言われていたので、頭でわかるけど心でわからないというか、、「感謝する気持ち」がどんなものかわからなくなってたんです

 

気持ちじゃなくて、「何をすればいいのか」だけを考えていました

 

心のないロボットでも、何かをやれば感謝してるということになる。そういうイメージで考えていました

 

私は今でもそうですが、

感謝という言葉がきらいです

感謝していない(感謝を伝えていない)自分が嫌だからです

 

そんな私でも、

感謝することの意味に気がつけたのは、感謝したくなった体験があったからでした

感謝は湧き上がってくるもので

感謝する「べき」もの

ではないんです

 

人から言われたから義務感で感謝してもつらいだけです

 

酷なようですが、一度感謝をできなくて痛い目見て、ああ、感謝ってこういうことか、ってきがついてから、感謝すればいいと思います

 

世の中が親孝行や感謝で盛り上がってても焦ることないです

 

人生を良くしたいなら感謝をやめよう

「感謝しなければ」をやめれば、感謝できるようになります

大切なのは、感謝することではなくて、日々のそういう当たり前の幸せに気がつくことです

感謝すれば人生が良い方向に行くのではなくて、感謝することによって日々の小さな何気ないことに「ありがたいなー幸せだなー」って、「感じること」によって人生が変わるんだなって思いました

 

 

だって、私は感謝をずっとしてきてるつもりだった、でもそれは心からの感謝じゃなかったし、感謝しなきゃしなきゃと思うほど、自分自身の価値がないような気がして人生は辛いものでした

 

それに、私はうつ病になった時思ったんです

 

神様なんかいないじゃないか、誰も私の頑張りを認めてくれないじゃないか、誰も私の行いを見てくれてなかったじゃないか。

そう思う自分がいるからこそ何かに見放されたんだなって矛盾の嵐でした

 

それに反して?自分以外のすべてがありがたすぎる大きな存在で、自分は生きていてはいけない存在、空気を吸っているのが申し訳ないって思いました

 

でも、アメリカ旅行がきっかけで思いました

心の声なんて誰にも聞こえてないんです。自分の願いは声に出して、他人に主張して、自分のわがままを通して行動してこそ叶うんです

感謝してないで自分を幸せにすることを考えてください。

 

もっとわがままになっていいんです。自分がどう感じるか、自分がどうしたいかを考えていいんですよ

 

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コメント

  1. およよ より:

    「感謝はするべきではない論」に引き寄せられました。
    まったく同感です。感謝よりも嫌な部分にばかりフォーカスがいっていて、でも、「感謝していない(感謝を伝えていない)自分が嫌」でもあり、「感謝しなきゃしなきゃと思うほど、自分自身の価値がないような気がして人生は辛いもの」の真っただ中です。どの本やSNSても「生かされていることのありがたみ」についてばかりで、余計イライラして・・・
    「世の中が感謝で盛り上がってても焦ることないです」に感涙しました。
    ネガティブだけどネガティブではなく、ネガティブで何が悪い、くらいの感覚を覚えました。

    そして、少しブログを読んでみると、ビーチサンダル吉永さんと似ているなと(笑)
    ・始めて会った人は大丈夫だが、二回目から唐突に逃げ出したくなるタイプのコミュ症
    ・それでも一般の人みたいにそれなりに笑顔でやり取りできる(つらいけど)
    ・結構行動力ある

    今、つらいんです。
    「その時」ではなくてもいつ「その時」がくるのか、一生来ないのか。。。
    つらいんです。

    ちょっとでも共感できてよかったです。

    • ビーチサンダル吉永 ビーチサンダル吉永 より:

      >およよさん
      ブログを読んでいただき、コメントまでありがとうございます
      今が辛い真っただ中だった時を思い出すとかける言葉が見当たりません
      何を聞いても何を見ても、自分とは関係ない気がして、「どうせラッキーだったんでしょ。私には無理」としか思えませんでした
      それでも、なんとかここまでやってこられました
      だけど、やっぱりただのラッキーだったのかもしれません

      ネガティブだけどネガティブじゃないってその通りです!
      ネガティブだったり後ろ向きだったりダメ人間だったりひねくれてたり、それが何が悪い!って開き直りです
      なんかもう諦めちゃったんですよね、私。

      私と似ていると嬉しい発見ありがとうごいます!
      そこから予想するに、およよさんも、きっとそれなりにやれば何でもできちゃうタイプで、自分に厳しい所があるのかもしれませんね。(自分を棚に上げてますが(笑))

      あきらめる前って「私はもっとちゃんとできる!人生ってもっと良くなるなず、どこかに答えはあるはずだ!」って思ってました。
      だから、その答えずっと探してました。
      でも答えはなかったです

      何してもダメなものはだめだし
      何しても自分はダメなままだし

      というかだめじゃない自分になるための「善い行動」みたいなものができない自分、は変えられなかったです
      そうやっていつしかやっと諦めが付いた時、なんか少し変わて来たんです

      だから、ちょっと矛盾してしまうかもしれませんが「その時が来るのか」という疑問を持った時、今の私なら一旦こう考えます
      「その時は一生来ない」です

      突き放すような悪い意味じゃないのですが(;’∀’)
      期待するだけ辛くなるのでもう自分に期待はしなくなりました(笑)

      長くなった割に言いたいことがまとまっていませんが
      またのお越しをお待ちしております

  2. 匿名 より:

    感謝するのが辛くなって検索してここに辿り着きました。
    1番しっくりする意見でした。
    感謝を強要されている。という感覚がずっとあっていつしか感謝を感じる前に言葉だけ言うといヴィンランド事になっていました。
    感謝をしないといじめられるかもしれない。そんな強迫観念の中で生きていました。
    この記事で気が楽になりました。

    • ビーチサンダル吉永 ビーチサンダル吉永 より:

      コメントありがとうございます。
      同じような違和感を感じている方がいるとわかると、私自身とても励まされます!

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