女として生きていくと決めた日と結婚観/トランスジェンダーの話

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タイトルが思い浮かばない

用語が難しくて調べてるうちにドンドン書けなくなる

という事で、そんなこと気にしてもどうせ誰も読まないだろうと思うので、自己紹介的に経緯を書きたいことメモ

最近、考え方の多様化で逆にますます私のような半端者は肩身がせまい。なので、同じように「テレビやネットの人ほは大した問題もないのに心が小さな違和感に苛まれてる人」に届けたい、いつか。

 

初めに

トランスジェンダーと言ったけど、細かい用語の定義が難しすぎてギブアップなので、この辺は突っ込まないでください

いつか、理解する為にアウトプットしたいとは思ってる(笑)

分かり易かったサイトメモ

外部サイト≫https://world-note.com/sexual-minority/

私の恋バナ

このブログにうつ病のこと書き始めてからチラチラ頭をよぎってることがあります

それは、うつ病になったきっかけ

多分一番の根本は家庭環境とか、私の神経質な性格とか、それだとは思うけど、

大きくバランスを崩した原因がどうもしっくりきてなかった

働きたくないとか、大人になりたくないとか、そういうのはもちろんそうだったんだけど、

それだけだったのかな?ってすごく気になってた

 

で、あまり語りたくなかったけど(今は語りたい)私の恋愛観とかそっちも関係してる気がしてきた

当時愚痴だけを書く、非公開ブログをやってて、そこのパスワードが出てきたので久しぶりに読んでみたら。

 

22歳まで自分の性(性自認)は女じゃなかった

だからといって男でもなかった(笑)

それに、別に悩んでもなかったし、疑問でもなかった

(あ、悩みといえば冠婚葬祭や仕事の打ち上げなどでドレスアップしなきゃいけない時はかなり嫌で寝込んだ)

ただ、性別に丸をする時は毎回迷ってた

だから、今ほどこんなに性の多様性とかもなくてせいぜい性同一障害くらいしか知らなくて、その方達と比べたら全然、問題なくて、

自分をセクシャルマイノリティー(性に関して少数派みたいな意味)だと思うのはおこがましいと思ってた

 

私(先生)はインターセクシャル

一番最初に、救われた?言葉は、中学の保健体育の座学で、確か染色体の話で、女性(XX)、男性(XY)、その他(XXY等)の染色体もある、と”女性”の先生が教えてくれた

 

その先生も、「私はその他です」ってサラッといってた

誰も気にしてなかったし(というか聞いてなかった?)聞き流してたけど、私はそれを聞いて

なんだ、じゃぁ私もその他なんだ

って思った

 

(実際には私の染色体は医学的に女性、のはず)

 

この時のその他っていうのは医学的に性別が判別できない人のことだったんだと思う。

検索する方はインターセクシャル、半陰陽、性分化疾患。あたりを。

 

 

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告白は女性からが嬉しかった

告白されたことあるとか自慢みたいだけど、私は中学あたりから後輩か先輩の女性にモテ始めた

中学はモテ期だったので男性からもモテ始めた

 

男性から告白されると、とてつもなく不快だった

今思えば恋愛という感情は当たり前で責められることじゃないどころか、こんな私を好いてくれるなんて、ありがたすぎて、今だったらウエルカムなのですが(笑)

でも、好意を寄せられると、「私を女としてみてたの?気持ち悪い」と思ってしまってた

男性のことを気持ち悪いと思ったんじゃなくて

女と見せてしまった自分=女として振舞っていた自分がいた

みたいな図式が気持ち悪かった

 

男としてみられたい

私は背は真ん中より後ろだったけど、後ろにはまだまだたくさん高い子がいた

それでも、なぜか、大掃除の時は男子側が足りないと私が配置され、

フォークダンスの練習でも欠員が出ると私が配置された

 

だからといって、髪型とかベリーショートとかでもなく、二つに結わいてたり、ボブだったり

制服のスカートも履いていたし(当時は選べなかったけど)

性自認も「違和感はあるけど私は女子」と認識していた

 

そして、物心ついた時から、外出先では男の子、男に見られ、銭湯は100%、トイレは清掃員がいると止められた、おばちゃんに「こっちは女性用よ?」と言われたこともある

 

でもそれは私は嬉しかった

それがどうして嬉しかったのかわからない

男に見られることが嬉しかった

性同一障害?の方みたいに、本当の自分を見てくれたから嬉しいみたいな感じではない

性自認一応女だったし

ただ、女に見られるのがとてつもなく苦痛だった

 

制服もスカートなのが嫌だった

私は髪を染めたりルールをやぶって不良ぶったりは全くなかったけど、校則で禁止されてもスカートの下に体操服を着るのだけはやめられなかった

 

 

でも男の子が好きだった

私は恋愛というのがよくわからなかったけど、好きになることは多かった気がする

でも、好き?なのこれ?って感じで、その人が他の恋人ができても気にならないし、少女漫画のような気持ちがわからなかった

でも、そんな中、保育園から一緒の男性がいつのまにかずっと好きだった

 

中学で特に特別な人だなーと思って、これが好きだて気持ちかな?と思った。

でも、その人が他の子と付き合っても平気だった

というか、私が恋のキューピットをしたりしてた

恋人がいても、なんでも、仲が良かったのが居心地よくて、

恋人という縛りがなくても隣に居られる関係が優越感?安心感?に浸れていた

 

逆に彼が恋人と別れた時は、不安だった

どこか遠くに行ってしまう気がした

 

一番好きな人と結ばれるのが怖い

そしてもっと怖かったのは、

彼が私を好きになること

 

そんなこと絶対ない、こんな私になんか向くはずがないと思うし(思ったし)

今まで告白してきてくれた人も罰ゲームだったんだと(今思えばかなり最悪な思考)思ってた

 

でも、好きな人に好かれるのが怖いって感情はそんなに珍しくないと思う

幻滅されたらどうしよう

嫌われるくらいなら今のままでいい

 

こう考えるのは少なくないと思うから、深く考えてなかった

でも、危うく結ばれそうになると(クリスマスとかに誘われると)私はその度に逃げた

 

彼が私を女としてみないうちに逃げようと思った

 

女にならなきゃいけない日、そしてうつ病へ

そして、ついに逃げられなくなって、なんと、私は

今まで断り続けてきた男性からの告白を

ある人のを受けて付き合った

 

私は女としてみられるのが嫌でずっと告白を受けることはなかったから、初めての「彼氏」ができた

そして、そこからうつ病も始まった

(タイミング的にも学生が終わる時でうつ病にはなりやすい時期だったけど)

 

でも恋人は「この人なら自分の弱いところを見せられる、わからない、出来ないが言える、女(彼女)としても振る舞いがわからない」言えると思ったから付き合った

何も適当に選んだわけではなくて…

その人とは10年付き合った。

 

完璧主義の付き合って「みる」

恋バナで「付き合ってみる」というお試し感覚はすごく否定される考えだと思ってた

付き合うというのは、まじめに、本気で好きと言える相手とだけ、なんなら結婚を考えるべき相手とだけ」とお堅い私は中学くらいか、思ってた

だから、「多分好き、でも幼馴染もすき?いやでも幼馴染のことも好きなのかわからない、すっごく好きだけどでもそれが愛とか恋とかなのかわからない」って状態のまま、しかも逃げるように、側から見たら適当ない相手と付き合ってみる、とか、

もしかしてわたしは最低なのか

そんな葛藤も大きかった

しかも、周りからは反対された人だったし。

 

女になった日

そして、「お付き合い」が始まると、それはそれは、苦痛な毎日だった

今まで曖昧に出来ていた、「自分の社会的性の役割」が

完全に「女役」を演じなければならなかった

私は中学以上に高校では男っぽくなっていたので、周りは、

吉永がタキシードで、彼氏がウエディグドレスだな

なんて冗談はあったけど、結局は私は「○○の彼女」という役割を与えられた気分だった

手をつなげば「私たちは男女の恋人です」と街に言いながら歩いてるようで

それは、「私は女です」と言いながら歩くのと一緒だった

 

目の前の彼は、私を100%女としてみていた

それが怖かった

彼のことは好きだったけど、

それは人として好きなだけで、男として好きなのかわからなかった

そもそも、人としても好きなのかわからなくなっていた

しかも、私は会わなくなった幼馴染のことも好きだった

 

そうして、私は自分のバランスを失っていった

 

私は自分自身のことしか信じられなかったのに、その唯一信じていたものが壊れていった

今すぐ彼から逃げたくて、一週間で別れ話をした

そして、別れたんだけど、

理由を言えなかった

 

そして、自分でもわからなくて、一緒にはいたい、

だから、そのままずるずるとうつ病になりながらも支えてもらいながらも、付き合いを続けていた

復縁の回数は数えられない

 

 

 

女として生きていくことを決めた日

だけど、また別れて22歳の時にしに場を求めて行ったアメリカ旅行のレディファーストに触れて、私は自分を女だと認めた

甘えは悪だと思っていた私がそれは間違っていると突きつけられた話【アメリカ価値観シリーズ】【第三章】
こんばんにちは、ミニマパッカーのすっぴんです。ダメ人間の価値観体験談「第三章・甘えるのが苦手なあなたへ。何もできない自分に出来ること」ですレディーファーストってご存知でしょうか?ほとんどの方は知っていると思うのですが、「父(男)は神...

 

アメリカではゲイパレードとかもあって、私以外にもいろいろな性に対する考えがあってそれを実行している人や、認めてくれてる人がたくさんいると知ったら、

私は自分の中にある何かは、もう私の悩みではなくなった

別に私の性がなんであれ、どうでもよくなったし、

女として生きていた方が楽だと知った

 

女だって、スカート履かない生き方もあるし、女だって女と見られるのが嫌!と言ってもいいし、女だって男みたいに振る舞ってもいいと知ったら、どうでもよくなった

私は多分、この自分の中の違和感を誰かに知ってもらいたかっただけで、

その違和感は世の中で自分だけのもので自分しか解決できないと思ってて

でも、世界を見てみたら、もっと大声で叫んでる人たちがいた

私はそれだけで満足して、自分がどうにかなりたいとは思わなくなった

うまく言葉で表せない…

 

それに、選択肢が増えたことで逆に私は女なんだと強く認識できるようになった

こんなに選択肢があるのに、私が選んだのは女だった

だから私はやっぱり女であってたんだと

この時気がついた

 

 

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二番目の人と結婚が一番幸せ

結局私は愛についてよくわからないままです

愛してる?とか好き?

とか聞かれると、愛してないし好きじゃない

でも嫌いじゃないし居心地いい

そんな感想しか、実は出てきません

大体、私は人付き合いが嫌いなので、一緒にいられる人はそれだけで多分、私の中では相当その人のことが好きなんだと思う(友人含め)

 

恋愛よりお見合い結婚

結婚するならお見合いがおすすめ

お見合いじゃなくてもいいんだけど、好きとか嫌いとかじゃなくて

条件を決めて、納得して、家族という新しい会社を、経営していく

困難が訪れたら、方針を考え、妥協案を見つけ、また軌道に乗せる

 

恋とか愛とか、このあとどう変化するかわからない「感情」に、今後の人生を決めさせていいのか?

「いいけど(笑)」

 

それより冷静に、家族構成、相手の性格、趣味、お金の使い方

そういうものを書面にまとめて書類に目を通すように納得してからの方がいいのではないか?

そう思います

 

だから、私は一番好きな人とは結婚はしたくなかった

完璧じゃない自分を見せるのは嫌だし、相手を幻滅したくない

 

でも、お見合いだからってその条件が嘘だった場合もあるし、性格も嘘っぱちで騙されるとこもあります

 

それはわからないけど、

恋愛で結局すると

こんな人じゃなかったのに

って思いが強くなる、

私の憧れてた結婚相手はこうじゃないってなります

でも、結婚をルームシェアみたいに考えると、気が楽です

 

そうは言っても私はお見合いではないけど、似たようなものでした

 

私の一番好きな人

私が今一番「大切な人」は、夫と娘です。失いたくない人達です。

 

夫との出会いは女として生きていると決めた日以降なので「デート」だからおしゃれしよう。と初めて思った人ですね(ジーンズとジャケットだけど(笑)そんで最初だけだったが(笑))

 

でも、自然体でいられたのはもしかしたら10年付き合った人かな。まぁ長く居たしね。

この人は付き合ってる時は二番目?に好きでした(一番は幼馴染、でもこの感情が好きなのかはわからずじまい)

 

だけど、

30歳になった今でも夢の中で恋い焦がれてる、夢に出てくるのは幼馴染だけです、人間手に入らなかったものには弱いらしいからそれかな?

 

以上、私の恋バナでした

なんかせっかくだからこの思い残しておきたかった。お付き合いありがとうございました。(誰もいないか(笑))

 

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「男の子が好き」=「自分は女だ」と思っていたことの違和感

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