こんばんにちは、ミニマパッカーの吉永です
まだものを手放すという方法がこの世にあるとは思いもしなかった汚部屋住人時代
恐らく私が一番最初に憧れたとあるカップルの部屋について今日は思い返してみたいと思います
ちなみに画像はありません
大切に集めたインテリア雑誌
何故でしょう、汚部屋住人は何かとインテリア雑誌や収納術の雑誌が大好き
私も例に漏れず、大切にしていたインテリア雑誌が何冊も本棚にありました
その1つ、メンズsmartの別冊本「インテリア特集」
女性向けのインテリア雑誌にはないスッキリとしてシンプルな部屋や
趣味の機械物でごった返した部屋などが載っているそれが大好きで何度もなんども読み返しては憧れていました
一人暮らししたらこんな部屋に住みたい
そんな事を毎日足の踏み場のない部屋の物の上に座って過ごしていました
とあるカップルの部屋
その雑誌の中に、コンクリート打ちっ放しの四角い部屋の中、Macのノートパソコンがポツリと2つ
どこに置いてあったと思いますか?
今ではミニマリストという言葉も流行り珍しくありませんが、壁際の床にピッタリとくっつくように、そして等間隔に二台並んでいました
そのページの写真には他に床に座ってパソコンに向かい合う男女とMacとコンクリートの壁と床しかありません
そのパソコン以外何もありませんでした
あり得ないと思った
私は衝撃を受けて
そして信じられませんでした
きっと雑誌撮影のためにどこか一室に家具をしまい込んでいるんじゃないか?
ここは住処ではなくアトリエか何かなんではないか?
人間が、室内でこんなに物がなくて生活するということはあり得ないと思いました
憧れた
と、同時に、こんなに身軽なことにかなり強い憧れを抱き
一人暮らししたら家具を何も持ちたくないと決めました
だけど、使えるものを捨てるという選択肢は当時まだなくて、
ほとんどのものは実家におき、とりあえずのものを持って引っ越しました
それが今から10数年前
うつ病真っ只中でした
一人暮らしと実家の荷物
洋服は押入れの板張りの上に畳んでおきました
食器は小さな流し台の下にそのまま並べました
でも私の頭の中は、こうでした
たまに必要なものは実家に置いておけばいいや
何が必要で不必要かそんなこと考えもしませんでした
加えてケチな私は、自分のお気に入りのものに囲まれる生活とは程遠く、家にあったもので済ませたので、
やっぱり憧れを叶えることは出来ませんでした
まぁそれはミニマリストになった今でも同じなのですが。
持たない暮らしの本質
そして、一見身軽になって引っ越しをしたわけですが、自分のものが実家にそのまま残っている状態
今思えば持たない暮らしの本質は、ものが少ない空間に住むことではなく所有物と向き合って処分してこそ効果があります
所有物がたとえ遠くにでも残っていることは、ものに支配されているのとなんら変わりませんね
憧れだけでは実現しない
家具のない部屋に憧れたはいいけれどテレビやテーブル、テレビ台
ベッドがわりのマットレス
そういうものは必需品と疑いませんでした
それに、実家にあるし、という考えだったので「こんなに物がなくても生活できるんだ!」という発想にはなりませんでした
体調も悪くそれどころではなかったのもありますが。
まだ人生が劇的に変わった片付け(旅)をする前の話です
持たない生活をするには、実際に、それらの物がない生活、そしてすぐには手に入れられない環境(取りに行けない、お金がかかる等)を体験してみるしか成功は難しいんだと改めて思います
雑誌の中の、本当なのかもわからない生活見るだけではここまでミニマリスト思考にはなれなかった
それを思うと今、取り組んでいる母の実家の断捨離も思うようにいかないのも納得かもしれません
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