終活に近い親の物は一度増えたら減らすのは容易じゃない理由

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実家の片づけをして、そして子供を産んで、つくづく思ったことがある

一度増えた「実家」という建物の「物」は減らせない

理由は思い出だけじゃない

「捨てる必要性」がはっきりとわからないものが多い

家の中身全体でいうと、物が多くてあふれている

だけど、外に出ている物をある程度片付けてみると、押入れの中に眠っている「もの」は捨てる必要がないように感じてくる

それがなおさら「実家」のものなら

もう、この状態で何十年も着ていて、「いつか使う」が何度も来て

「別にわざわざ捨てることない」という「捨てないことに納得できる理由がたくさんある物」が多すぎる

これから、自分の人生を「もっと身軽に生きていきたい」そうやって前向きな生活が待っている私たちとは違う

そんなこと、やる前からわかっていた「実家の片付け」「親の家の片付け」

捨てられない理由を探してはいけないこともわかってる

でも「物」は私の物じゃない

でも子供を産んでみて、子供がいつか必要になるかもしれない、だからこの実家に置いておくよ」これが立派な理由になる

当の子供(私)は「なければないでいいものだから捨てちゃいなよ」と思うのだけど、

必要になったときに買うくらいなら、必要にならないままここに置いておきたい

それが親ごころなのかもしれない

まぁそれがいつか子供世代にのしかかってくる遺品整理になるわけですが

祖父の遺品整理に10年かかってる思わぬ理由

そしてちょっと同居の話も出てる

正直、あの家で生活したくない

でも同居のメリットは大きく、乗り気じゃないのは私だけ

今の自分の家はものがなくてすごく落ち着くから

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