【ニート女の末路と生き方】消えたい。無能で価値がない自分が未だに生きてる理由【アメリカ価値観シリーズ】【第一章】

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こんばんにちは、元うつニートのミニマパッカー吉永です

私は、いい子になろうとしてなれませんでした。

立派に自立して親を見返したかったのに、就職活動が怖くて大学を中退しました。

それから、求人広告を見かけるだけでパニックになるようになりました

ちょっと意味が分からないかもしれません。うまく説明できません。。

でも道を見失って、

自分が信じていた全てが信じられなくなって、

それから自分を無価値な人間だと信じて疑わなくなった。

それの経緯や、その時の事については、何度も何度も書いたんだけど、どうしてもまとまらないから今は書かないことにする。

だけど、どうしても、今自分を無価値だと思っている人に伝えたいことがあって、それだけでも書いてみたいと思います。

生きる価値のないニートから生きる価値のあるニートになった出来事の話です

そしてこのブログ全体が「生き方」です

読んで「焦り」を抱くかもしれませんし、鼻で笑われるかもしれない。

どんな気持ちになるかわからないけど、どこかの小説の中の話かな程度に受け止めてください

逃げるだけ360度表紙

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すべてがめんどくさい。ここではないどこかへ

ちょっと贅沢な話だけど、うつ病で無職だったのに、アメリカへ一人で逃げ出した。

家族から、自分から、ここから、とにかくここではないどこかへ行きたかった

私を知っているすべての人の記憶から消えたかった。

”勇気がある人”ならこの世から逃げ出すことができたかもしれない

でも、こんなになってもどこかに「いい子でいなければ」という思いが必死にこの世にしがみついていた

どれだけ「こんな子供ならいないほうが親も幸せだ」って反対意見に頭を埋め尽くされていても、どこかでわかっていた「親より先に逝くことは一番の”悪い子”だ」ということが。

私にはそれが初めての海外で、それまでアメリカなんてミーハーみたいで大嫌いだった。

それでも行ったのは、「おいで」っていってくれた友達がいたから。

そして、その人が「みんなと一緒」の「日本」から出て行ったことが私をその気にさせた。

日本にいる全ての友達、家族、親せきがプレッシャー

私はそのころ、日本にいる友達、他人、親族全員がプレッシャーだった。

大学に行って、バイトをして、あと数年で就職活動だね~なんて話して。カラオケオールして。

普通に親戚の集まりに出て、冠婚葬祭をこなして、人と会って、人と遊んで。

周りのみんなと歩幅を合わせられて、人を気遣えて、幹事ができて、サラダをお皿に取り分けて、お化粧をして、ちょっとした時にはスカートとヒールを履く。

営業スマイルが完璧で、いらっしゃいませと申し訳ございませんのお辞儀の角度を調節して、クレームににこやかに対応して。

とにかく全てがプレッシャーだった。

私はどれもできなかったし、

語弊があるかもしれないけど

たいした責任もない学生のバイトですら出来なかった。

働かざる者食うべからず、

人並みの人付き合いもできないうえに一人で生きていく力(働く力)すらない無能な人間だと思っていた。

「空気が読めない」友達が私を救い上げた

アメリカの友達は、小学校からの親友だったけどその時には疎遠だった。

日本では「空気が読めない」って言葉がぴったりくるような子だ

私も今の自分を見失う前は、そうだった。あえて空気は読まない。そうするだけの自信があったのだ

ちょうど何かのきっかけでメールが来て、私が大学を辞めたことを伝えた。

私の家族のことまでよく知るその子は、大学を辞めたことを聞いて何かを感じとってくれた。

そして、私は何も言ってないのに「アメリカに遊びに来なよ!」と言ってくれた。

その子は社交辞令なんて言わない子。自分がやりたいことしかやらない子。

返事のない私にすぐさま乗り換えの空港の地図と必要な英単語を送ってくれた。

こういうところが私を安心させた。私の気持ちなんか無視して自分が思ったことをする。おいでとおもったらこうやってどんどん送り付けてくる。こっちの事情なんかお構いなし。そういう人が私を安心させた。

音を立てて切れるしがらみの糸

昔一度だけ出来たフリーターアルバイトのお給料を握りしめて、アメリカへ逃げるように旅立った。

どうせ日本にいても生きながら死んでいるようなもの

初めての飛行機が落ちようが、

アメリカで銃撃戦に巻き込まれようが、

どうでもよかった

むしろそれの方が都合がいいと思った。

今の状況から逃げ出せる可能性があるならなんでもよかった。

現に、日本ではいろいろなところに逃げ出した。

でもどこに行っても何も変わらなった。当然だ。アメリカに行ったって何も変わるはずがない。

そう思っていた。

ブチブチブチと音を立てて切れるしがらみの糸

飛行機が離陸して、空へ向かうときの重力をとても強く感じ、とてもよく覚えている。

地面に引っ張られる体。

それでも空に向かって、私のことを誰も知らない世界へ向けて、私を縛っていた地面から伸びている糸がぶちぶちと切れる音が聞こえた。

涙腺に絡みついていた糸が切れたように私はボロボロ泣きました。

それまで人前で泣いたことがなかったのに、涙が止まらなかった。

次に地面に降りたら誰も私をしらない。

そう思うと、ここ数年感じたことのない安堵感が襲ってきた。

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当たり前が当たり前じゃなくなった瞬間

アメリカでは、当たり前にできていたことが何もできなくなった。

買い物をするにも一苦労、欲しい物がどこにあるのかを聞くこともできない。

紅茶を注文するにも、システムがわからない。

ファーストフードで飲み物が飲み放題なことに気が付かない。

道案内の看板が読めない。何処に行けばいいのかわからない。

甘くない飲み物を探せない。

あんな大声で話している人が

何を言っているかわからない

私の知りたいこと以外なにも聞こえてこない。

知りたいことすら聞こえてこない。

雑音が雑音ではなくなる。

また逆に、

全ての人の言葉をすべての意味をしっかり理解しなくてもだれも私のことを怒らないし、不快にも思わない

だって私は、どこをどう見ても外国人なわけだ。

こんなに外に出るのが怖くないのはいつぶりだろうか。

肥大して凝り固まった自意識がどんどん小さくなっていく。

完璧を求めなくなった

失敗が怖くなくなった

気が楽くってこういう事なんだ

私は、ちょっとしたことでも親から「ほんっとに気が利かないんだから」と言われてきた

あいさつのタイミングが遅れただけで、「挨拶をしなさい」「大きい声でいいなさい」「ごめんなさいね、あいさつもできない子で、恥ずかしいわ」と言われてきた

私は恥ずかしい人間だった

だから常に人を観察して、人が求めていることを言われる前にやることを試されてきた。

それをしなくてもいい!!

というかできない!!だって何言ってるかわからないんだもの!!!

価値を与えてくれたのは意外にもただのバスだった

当たり前があたりまえじゃなくなったことだけで、もう価値観が、世界が変わり始めていた。

それでも、必要なのは買いものくらいで、買い物は無言でも品物を出せば買い物ができる。

だから、気が付かなかった。自分の価値に

それに出会うまでは。

それは日本でもその辺を走っている「路線バス」だ

バスは違った。

ある日私は、一人で路線バスに乗る用事ができた。

アメリカの路線バスは日本のようにバス停の印がない。

みんな景色で覚えているらしい。

一人ではバスにも乗れない

バスに乗るくらい簡単だと思っていた。

友達にバス停まで送ってもらいバス降り場の地図を日本語で書いてもらった

日本では、知り合いに聞くのが怖かった。

どこかに看板はあるし、道行く人に聞けばわかるし、自分で調べればわかることばかりだった。

人に連れて行ってもらうなんてことは恥ずかしいことだと思っていた。

バスの乗り方がわからない

ようやくバスが来て、バスに乗ることになるけど、乗り方がわからない。

完璧主義の私は、お金をいつ払うのかそれがわからなくてバスが来ることが不安だった。

流れに身を任せるなんて想像したこともなかった。

お金を払うとき、運転手さんの説明がわからない。

今払えと言われているのか?

後で払えと言われているのか?

それすらわからない。

だけど、だれも不快な顔はしない。

私がポカーンとしているとお客さんが一生懸命説明してくれる。

もちろん英語なんだけど、私が英語をわからないことは十分承知していて、それでも手の離せない運転手の代わりに身振り手振りで説明してくれる。

感動した。

日本だったら一言「後払いだよ」とかで終わってしまう。

だって私は日本人だから、それだけでわかる。それが当然。

日本では運転手さんがめんどくさそうに説明する。それを社内の人”静かに”聞き耳を立てている。

私は自意識過剰で、「そんなこともわからないのかよ、前もって調べておけよ」と言われているような気がしていた。

バスに一人で乗れて当然。

説明してもらうなんて迷惑をかけていることと同じだと思っていた。

降りるバス停がわからない

もちろん降りるバス停の景色はわからない。友達に聞いていたバス停の名前(番号?)を伝えて、おろしてもらう。

ここでも、誰かの世話にならないと降りることすらできない。

当たり前に降りていた日本のバス。

知らないところだってバス停の名前を前もって調べて、アナウンスを聞いて降りることが当たり前だった。

価値観を変えてくれたアメリカ旅行(一番伝えたい事)

日本ではなんでも出来るようにならないといけないと思っていた。

一人でなんでもこなさないといけないと思っていた。

手伝ってもらうことは迷惑をかけることだと思っていた。

それがアメリカではどうだろう。

一人ではバスにも乗れない、一人で満足に買い物もできない。

知らない人に沢山助けてもらう。

友達がいないと、どこにも行けない。

バスに乗るだけで長編映画が出来ちゃうんじゃないかって言うくらいの大冒険だった。

そしてそれができた時、もう日本では味わうことのできないとんでもない達成感を得られた

達成感は、自分に生きる「価値」を与えてくれた

(手伝ってもらったけど)一人でバスに乗れた

こんな知らないところで右も左もわからないところでバスに乗って移動ができた

何もできないと思っていた自分がバスに乗れた

私はアメリカで一人では何にもできなかった。

日本に電話することも、映画を見ることも。全て友達に助けてもらった

そしてアメリカで私は知りました

自分は一人では何もできないこと

そしてそれは当然で何も恥ずかしいことではないということ

これは価値観を変える大きな要素でした。

出来ないことがあるのは当然と知りました。

それを知って、生きることが楽になりました。

完璧になんてできなくたって、生きていていいし、わからないことがあったって生きていていい。

出来ない事があったって手伝ってもらっていい

だって、自分はアメリカに来て何も変わっていない何一つダメなままなのに、バスに一人で乗れただけで価値が生まれる。

自分を褒められるところってもっともっとたくさん転がっているはず。朝起きられた。ご飯一人で食べられた。一人でお風呂にはいれた。そういうことだって、私たちはできない時期があって出来るようになって、それってお祝いするような出来事だったはず。それを勝手に大きくなって、みんなが「できて当たり前」になっただけ。

そう思った。

つづく…

続きのお知らせ

繰り返しで申し訳ないですが、こちらで紹介しました本には、このブログに書いた経験談を元に修正、追加した部分が多くあり、さらに順番も整えたので読みやすくなっていると思います

この体験がきっかけで、今までは親や世間という天井があって、狭い密室にいただけなんじゃないかと疑い始めました

そういう視点で世界を見ると他にも、生きることが楽になる発見が沢山あったんです

そして、それを知り、人生が変わり始めました

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▼ブログで続きを読むには以下よりどうぞ!

▼第二章・自分の許し方(次の記事)

本当は頑張ったねって言ってほしかった。でも頑張ることなんて当たり前でみんながやってた

だから「許してもらえる理由がなかった」

▼第三章・何もできない自分に出来ること

たくましくありたい、強い女でありたい、人に頼るのことが苦手、甘えは悪!

そう育ったけど、常に両手がいっぱいでいざという時、何も掴めない、何も支えられない。人生に転んだ自分すら支えられなくて何がたくましさだ。

女ってだけで優遇される甘えの最上級みたいな文化から学んだのは、感謝と甘えを身に付けることが、余裕のあるたくましい人間への第一歩ということでした

▼第四章・どう生きればいいのか

自分探しの旅はない。自分探しの旅は準備をしないといけない。いろいろな意見があるけど、旅に出ればわかるはず。自分とは何か、生きるとはどういう事なのか。逃げ出した異国の地で待っていてくれたものそれは…

(こちらの完全版は電子書籍にのみ追記済み)

▼第五章・たどり着いた生き方

バックパッカーの経験から日本の自分の家の中でとある事を始めました。そして、劇的に変化した事とは?

うつ病汚部屋住人が〇〇として生きるまでにやった事

▼第六章・生きる意味とは

こちらも電子書籍にのみ追記

▼第七章・旅に出て何が変わったの?

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