うつ病がなんで治らないんだろうと心配なあなたへ
この記事に結論はありませんが、浮かんだことをメモしておきます
うつで苦しんでいる方とメールさせてもらって、色々考えていた時に、
発達障害やうつ病というのは、作られた病だというブログ?記事をちらっと見ました
最初は、え?うつ病気はれっきとした病です。
と思ったのですが、
うつ患者にとって作られた病気の方がいいのか悪いのか
うつ患者の方へうつ病は治さなくていいよと伝えたいけど伝えたくない話
などなど。
ソースはまた今度。それを踏まえて私の考えを書きます
医者ではない個人の考えですので鵜呑みにしないでくださいね
「病気じゃなくて症状」の意味とは?
発達障害の人って、どこかに天才的な才能があったりして、例えば一度見た景色を完璧に絵にかけるとか。
計算が得意とか。
だから、そういう得意なところを伸ばして、周りと合わせなきゃ行けないとか、そんなことどうでもよくて、この人の個性として、受け入れられないか?と最近ではそう考えましょう
みたいな流れになってますよね
発達障害は治る(治す)ものではなく付き合って行くもの(伸ばしていくもの)
だから発達「障害」という言葉をやめて、注意欠落「症」とか、症という言葉を使って、その人はこういう特徴のある人ですよって呼び方に変えてるそうです
うつ病も作られた病気だから症状?
で、うつ病を、同じように作られた病気だと言うのです
ここでいう作られた病気というのは、うつ病患者からしてもいい意味での作られた病気って感じです、うつ病は甘えとかそんなことを言ってるんじゃなくて、
そういう個人差だったり、たまたまそういう体調が悪いのが続いてるだけだから、なにも悩まなくていいんだよってことだと思います。(そんな簡単じゃないのが患者の気持ちですが)
「うつ病は治る病気」という認識がうつ病患者を苦しめてる
例えば、骨折なら、作られた病気ではなく実際の病気(怪我)なので、治そうって頑張りますよね
でもうつ病は、最近の考え方では「病気なので」治そう、治らなきゃって患者は考えてしまって、方法を探して、場合によっては、大きな病院に行ったり、お金をかけて有名な先生を探したりします
でも、それが余計なプレッシャーを患者にかけているのではないかと考えます
なんで、治る病気なのに治らないんだろう…って。
うつは治ってないのにうつ病は治った私の話
私は今でも、うつ病になり始めた(まだ軽かった頃)の当時と同じような、うつ状態になります。
たとえば布団から出られない、とか、大好きなもの(ブログ書くこと)に興味がなくなって、それをする事になんの意味も見出せなくなって投げ出したくなったり。
私は当時、そうなった時に「なんだこれ、こんな自分は自分じゃない」と責めました。
そして、親に病気に連れて行かれました。
そのあとは、私はやっぱり今、周りから見てもおかしな状態なんだ、だから、「なんとかしなければ」「調子のよかった自分に戻らなければ」
周りから見て「普通」に戻らなければ。と必死でした。
でも、今は、同じように布団から出られなくなっても、それを咎める親もいないし、自分も「ああ、またこの時期か」って思えるようになって、しばらくは体調は悪いですが、うつ病まで転がり落ちなくなりました。
まさに、寝てれば治る風邪、みたいな感じです
つまり、そんなことはないとは思うけど、
うつ「病」と分かると、治らなきゃというプレッシャーはかなりかかって、余計治りにくくなるのではないかと、今は思います。
でも、じゃぁ当時のことを思い出して見ます
(でも正確には思い出せませんが、それでも)
じゃぁうつ病は個性なの?いや違うあれはやっぱり「病気」だ
うつ病というのは、たしかに、「病気」でした。
風邪なんかじゃないし、周りがいなくても、一人で暮らしててもやっぱり個性なんてそんな話じゃなかったです。
当時はわからなかったけど今思えば、病気って言えるくらい頭の回転もしなくなるし、前向きになんて考えられないし、本当に、物理的に布団に縛り付けられてるんじゃないかってくらい起き上がれない、気持ちの問題や性格では片付けられないくらい重たいです、体も気持ちも。
消えたいとかしか、かんがえられなくなるし、
誰のどんな励ましも、受け入れられなくかる
だから、作られてようが作られてなかろうが、病気だし、今までの自分にはなかった(またはこんなに強く出なかった)症状が出てきていて、
困ってます。
そうなんですよ、
呼び方なんてなんでもよくて、困ってるというのが問題ですよね
じゃぁどうしたらいいのかっていうのは、ちょっとわからないので置いておきますね
でも、うつ病は治るものじゃないと、うつ病のあなたに言えるのか?
それで、私はうつ病が治った今だからこそ、うつ病は治すものじゃなくて慣れるもの、うつ病とうまく付き合っていくものだと思います。
だから、うつ病は病気じゃなくてそういう体質の人っていう考え方を、今は出来るし納得しました。
じゃぁ今、目の前にうつ病の人がいたら、うつ病は病気じゃないから治らなくていいんだよ。そのままでいいんだよって
(今は思うけど)言えるか?
と問いかけると言えないです。
うつ病は遺伝子の問題の難病だったら良かったのに?
なぜなら、うつ病になった時、私はうつ病と診断されても、「私はうつ病じゃなくて甘えてるだけ」と納得しなかった中で
もっとはっきり「病気」や「障害」というレッテルを自分に貼れたら楽なのにって思いました
でも、先生は、病名は関係ないよ、今困ってることを解決しましょう
というスタンスでした
困ってることがなんなのか、わからなかったし
何も困ってなかった
こんな自分、に困ってるだけで
あるのは、このままだったらどうしようという不安だけでした。
私の中には、みんなができてること(働くこと)ができない自分
というのにすごく劣等感があったから、
たとえばこの世に「求人広告恐怖症」という、遺伝子レベルでの難病があればよかったのにって思った
これなら難病で、世の中の人も知ってて、
自分のせいではなくて
だから、そういう障害者枠みたいなのがあって、
そういう人に対応した、面接がわりの何かがあったり、なくても、自分はその障害があるから、できないんだって言い訳したかった
言い訳がある安心感が欲しかった
うつ病っていうのは周りがどう受け入れてくれる社会になったとしても、自分自身が自分を許せない病気だから、障害認定とかあってもあまり意味ないんですよね。
だけど、遺伝子の不具合とかだったら
そうすれば、私が誰かに何かを説明しなくても、
ああ、吉永は難病だから働いてなくても仕方ないよな
とか、障害者枠がなくても
まぁ面接失敗するのも当然だよねって
察して欲しかった。
あとは、少しだけ働けただけで
難病なのにすごいねって認めて欲しかった
うつ病は誰でもかかるものという考えもうつ病患者を苦しめる
だけど、うつ病って、誰でもかかるものとか
うつ病は時間が解決してくれるとか
世の中の理解が進むほど
「治るもの」って認識が始まった
みんなかかるものだから自分だけ治らないのはおかしい
だから、治らなきゃとか
治せないのは自分の努力が足りないからだとか
思いがちです。
骨折みたいに安静にしていれば治っていく過程がレントゲンに写るわけじゃないから、安静にしているのも難しい
私みたいに何度もアルバイトの面接や、アルバイト自体や、家出や、何から何までことあるごとに逃げ出したところで、逃げ出した自分からは逃げられなくて、辛いままなんです
まとまらなくなってきた。
うつ病は大人になってから発祥したアレルギー
つまり、うつ病は治らない「症状」と認識した方がいいよ、たとえば、大人になってからなってしまったアレルギーみたいな感じで、
たとえば、水アレルギー。
今まで当然のように毎日のように飲めていた水。それのアレルギーになってしまって、みんなと同じように生きていくのは困難になってしまった。
水に触れるとうつになってしまって仕事の不安もある
でも、アレルギーは自分の努力や頑張りではどうにもならないから、かなりショックで不便で、受け入れられないかも知れないけど、いつかは諦めるしかないですよね。
自分を責める必要がないのがわかりますよね。
うつはそれと同じでした。
なんだけど、
私が鬱の時は、病名が欲しかった
うつ病以外のもっとはっきりした病名が。
だから、
やっぱり面と向かっては言えない。
さっきも書いたけど、私の先生も多分、今思えばそういう考えだったから、詳しい病名は突き詰めないで重度のうつ病にして、アレルゲンを探そうとしてくれたんだと思う
でも、私はそれは辛かった
アレルゲンなんて自分自身の存在だと思ってたから、自分がちゃんとすればいいだけだと思ってた。
でも、回復した今ならアレルゲンはわかった。それは「正社員で働けない自分、そんな自分の将来のお金の心配」だったってわかったのは最近。
まとめ
ずっとだらだら書きそうで、諦めて下書きにしそうだったので完結しないのでまとめます
つまり、うつ病の頃の気持ちは忘れてしまって、ただただ、なにを励まされても焦りしかなく、治らないんじゃないかと恐怖しかなく、つらかった
それを踏まえてでも、今あなたに伝えたいのは、うつ病はなおす必要はないです
たしかに病気だから、胸を張って休んでいいんです。
でも、うつは受け入れちゃった方が結果としては、うつ病は治って行きますよ。
私の場合は、ニートでいいやって生き方で今は安定してます。
うつ病は治らない難病やアレルギーとして、または、その人の個性として受け入れるのはどうだろう。
いや、無理だよね。辛いよね。
治したいよね。
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