近所の人が孤独死、責任は声をかけなかった私にあるの?

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※2016年11月5日の下書きのままの記事を公開しました

 

NHKで福祉関連の特集番組をやっていました。

ちょっとタイトルが煽りっぽいですが、素直な気持ちを書きました。

 

孤独死を防ぐ活動

番組のとあるコーナーで、大山団地という団地の取り組みの様子が、取材されていました。

大山団地では、たくさんの地域活動を通してみんなで支えあって暮らしています

その中で、13年間発生していなかった孤独死が発生

新しく入居した方が亡くなったということでした

孤独死は防げなかったのか?

団地の中はいくつかの区に分かれていてその中に区長という方がいます

その方がまず新しく入居した方に会いに行くことになっているそうですが、会いに行ったけど名前も言わないから少し話して帰ってきたとおっしゃっていました

 

「区長がもっとしっかり様子を見ていたら防げたのではないか?」と、当然言う方がいました

 

孤独死は人それぞれ

自治会の絆と意識が高ければ高いほど、こういう「こうすればよかった、あの人がどうの」というのは出てくると思います。

しかし、そこで区長の言い分は「名前も言わない、周りと関わらない人を、こっちがいくら頑張ったって変えられない」というような内容で反論されていました

ちょっと意味合いしか覚えていないので微妙なニュアンスが違っていたら申し訳ない。

しかし、この意見にももちろん、反論はでました

私の考え

私はこういう自治会のような絆って素敵だなと思うのと同時に、人付き合いが苦手です

だからか、この区長さんの言い分には100%賛成

お節介とか世話焼きの人を「苦手」とは思わないし嫌な気分にもならないだけど、

名前も言わない人は、周りに助けてもらいたいとも思ってないし、孤独死も覚悟していたと思う

人の生き死にまで、他人か責任を負う必要はないと思う

 

寂しい人間

私は自分のことを寂しい人間だと思います

今でこそ結婚もして幸せに暮らしていますが、仲良くする人の数は多いと疲れるし、どんなに仲良くなっても一緒にいると疲れます

ちょっとした小さな親切や、思いやりはあるとは思います

福祉にも興味はあります

生きているうちの活動はちょっとだけの関わりで済むなら他人のために尽くしてあげたいと思う時もあります

でも、あっちが望んでいないことを、無理に尽くすことはどうしたってしたくない

本当は、そこを踏ん張ってお節介してあげたほうがその人のためになるかもしれない

でも、その人が望んでないことまで背負いたくないし、その人の判断に任せたいです

本人がどうしたいのか、それが私の判断材料なのです

 

ぶつっとおわるけど、そんなことを思ったテレビ鑑賞でした

 

結論

区長のせいじゃないっ

 

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プロフィール
ビーチサンダル吉永

生きるのも死ぬのも面倒臭い元引きこもりのなんちゃってバックパッカー
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尊敬するのは「出川イングリッシュ」

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