HSPという言葉に出会ったのはいつだっただろうか。忘れてしまったけど、結婚した後だから10年以内のはずだ
HSPというのは人の痛みまでも自分の痛みと感じてしまう。みたいな感性の持ち主みたいな意味だったと思う
人のネガティブな感情に影響されたり、
電化製品の音や晴れの日の外が眩しくて辛かったり
サプライズが嫌いだったりと、まさに私やん。と。
あと、これは別件で知ったんだけど、ディズニーランドのアトラクションとか、映画館の音とかも結構辛い
みんなそうなのかと思ってたけど、どうやら違うらしかった。大きくかんじるけど不快じゃないと聞いておったまけだ。家族で行く時私は入らないようにしてるくらい。
自分をHSPだと認めるのにこれだけ時間がかかったけど、やっぱりそうなんだと思うと楽になれる
夫が毎週録画してでも見ていた「モニタリング」
私はそれが流れるのが苦痛で苦痛で仕方がなかった
面白くないとかそう言うのではない
とにかく流れているのが嫌で嫌で、食事の味はしないし、集中もできない
モニタリング面白い?と思わず聞いてしまったし。
だけど、自分がおかしいのかと思って我慢してた
笑いに包まれるスタジオ
同じように笑う夫
こんな番組が人気番組だと言う事実に、私はますます理解できなかった
昔からあるドッキリも同じだ
親がよく見ていたけど(好きと言うわけではなさそうだったけど別に気にしてなかった様子)
ハラハラしてしまってみていたくなかった
それからドキュメンタリーやリアリティ番組や本。
私が手に取るのは必ずフィクションだし、フィクションだとしても戦争ものの映画はみられなかった
ハート・ロッカーがアバターを押し退けアカデミー賞作品賞や監督賞に輝いた時は、世の中とどうなってるのか?とさえ思った。一瞬だけ。
なんでみんな戦争映画を当たり前のようにみられるのか?
私が矮小で平和ボケして現実から目を背けている弱虫なだけなのだろうか?
そんな事まで感じた。
母が父に怒られている時、私は過呼吸になった
私は怒られてないのに。
娘を怒ることが怖いのも同じだ
夫が転職したときも同じだ
ただ他人を心配している、程度ではないと、自分はおかしいと感じていた
自分が転職、就職するわけじゃないのに食事が喉を通らなくなったし、応援する余裕もなかった
とにかく吐き気と闘っていた
だけど、HSPという言葉に出会って全てが腑に落ちた。
おかしいおかしくないではなくてそう言う特徴を持った人が他にもいるんだと知った
私は受けなくていい痛みや感情の伝染を受けてきていただけで、それは確かに痛いけど、
でもそれは私が思い悩む痛みではないんだと知られただけで救われた
れはアドラーにも救われた理由と似ている
他人の問題は他人の問題というやつ
そんな感じで、「ああ私は今無駄に痛いだけだ、これは無駄な痛みなんだ」と自覚するだけで楽になれるそ
そんな話でした。
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