つわりもよくなってきて本を読んだ
読むとイヤな気分になるという湊かなえ
告白を読んだときもうこの人のは読まないと思っていたけど借りたので。
告白、花の鎖、と読んで今日は母性についてメモしておきたい
母性感想
娘のままでいたい母、見返り(褒められること)によってしか愛を感じられない母、人に優しく、いい人を続ける母
無償の愛を求める娘、母性を持って母に接する娘
どちらも自分のようで怖かった。
私の家族は今でこそ私を愛してくれていたことがわかったけど
小さいときには私もいい子にしていないと愛してもらえていないと感じていた
ここが物語と母と似ていて、読んでいてこんなに歪んでいる母と同じなんだと思い驚愕した
ハッとさせられたのは、この歪んだ母のような人は細かいことは違ってもたくさんいるのではないかという事
母の手記があるから歪みがわかるが、外から見ていると立派な人間に見えるんじゃないかと思った
母(祖母)の望むいい子になることを心から自らのぞみ、笑顔の絶えない母、母(祖母)は全身全霊をかけて自分を褒めてくれる、
結婚相手も母が喜ぶ人を。
読んでいて胸糞悪くなる姑始め、旦那一家の中で健気に尽くす母
いじめられている人にもやさしく手を差し伸べる
そんな母
偽善?だからなんだろう?とてもいい人じゃないか
それの作ったのは、作品の中では立派な母性の元愛をたくさん注いだ祖母だ
自分の娘と自分の母(祖母)の命を天秤にかけたとき迷いなく自分の一番大切な自分の母(祖母)を助けようとしたのを見て自ら命を断ち娘を愛して育てろといった祖母(孫と祖母が瀕死)
じゃぁ、そんな立派な祖母が育てたのにこうした歪んだ母ができてしまうという事実(小説だけど)が怖かった
私もたくさん褒めて育てたいと思っていたからだ
根拠のない自信でいい、自分なんかいらない子だなんて思ってほしくないと思ったからだ
人を苦しめることはしないでほしいが多少の迷惑くらいかけても楽しく笑っていてほしい。そう育てたい。
人に迷惑をかけることを極端に怖がってほしくない、迷惑をかけるくらいなら自分なんかいらないなんて思ってほしくない、自己肯定をちゃんとできる子に育ってほしい
そこがこの歪んだ母を作った祖母と同じになるんじゃないかと自分の考えが怖くなった
立派な親は子に必要ないと私は思っている
でもこれを読んでいると何がよくて何が悪いかなんてやっぱりわからないと思う
東南アジア旅行でもこれを感じて子供を作る覚悟ができたわけだが。
愛ってなんだろう
自分も気がつかないうちにこの母のように、この娘のようになっているのではないか?
愛しているつもりで何かを強要してしまうんじゃないか
昔親にされてイヤだったことをしなければいいという問題じゃない
今お腹の中にいる子に偏見などで悪くない子を除け者にするような子になってほしくないと思っていた
困ってる子がいたら助けろ!とは直接言わないにしても、喧嘩をしたと聞けば「その子はどうして怒ったんだろうね?」などと子供自ら考えられる子になってほしいと思っていた
でもこの本の中で、歪んだ母が子供にいつもそういう質問を投げかけていた
それだけじゃなく「人が何をしてほしいのか、どう言われたいのか考えなさい」そしてそれを「実行しなさい」と言っていた
私は実行しろとは教えたくない。考えて自分がどうしたいのかどうしたらいいのかそこも自分で考えてほしい
しかし、私も小さい頃そう教わった気がする
そして本の中の娘も、そして私も
人の顔色を、伺う子になった
というか、母の前で母が気にする人の前で顔色を伺うようになった
こう思うけどこう言ったら後で母から注意されるだろうなと考えるようになった
そしてだんだん、母の前で人に会うのがイヤになった
何も発言しなくなった
挨拶の仕方ひとつ取っても注意が怖くて挨拶をしなくなった
余計怒られるのに
大きくなると思うことがあった、それは結局は世間体が大切なんだと思った
しっかり愛想よく礼儀正しく、常識を教え込んだどこに出しても恥ずかしくない娘を作りたかった
こう書けば当たり前の感情だけど。
ただの当たり前のしつけだったはずだ
じゃぁどうしたら捻くれずにしつけられるのか、わからない。
私の母も私も含めて、本の中の祖母も母も娘も、どこにでもいて、内側と外側は全然違っていて、何もわからないということを改めて感じた
良い母から良い子が育つわけでも、歪んだ親から歪んだ子供ができるわけじゃない
自分なりの愛を注ぐしかないんだと改めて感じた
今回も登場人物にいらいらしてイヤな気分になったけど、メインの母性については、すんなり飲み込めた作品となった
オチのハッピーエンドは微妙だったけど。
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