感謝したいけど母の日やりたくない!実母お世話になってるのに止めてもいい?

母の日やめたい
この記事は約7分で読めます。
  • 母の日考えるのが苦痛
  • 今でもお世話になってるのにあげないのは親不孝?
  • どうやってやめたの?
  • やめた後どうなった?

 

こんばんにちは、汚いミニマリストのビーチサンダル吉永です。

 

この記事では、「お世話になってるから贈りたいのに苦痛!」という葛藤の中、母の日としてプレゼントや贈り物などは一切辞めた経験から、実際にやめてどうなったの?という体験談を紹介しています

 

プレゼント選びやらいろいろ考えるのが苦痛すぎて、母の日が大嫌いになりました

でも、やめてみると意外にも?逆に、母に素直に感謝出来るようになりました

今日は、母の日をやること=感謝にはならないという事に気がついたのでその話も踏まえた体験談もしたいと思います

この時期いつも憂鬱なあなたの参考になればと思います

 

自分の母親へ「母の日どうやってやめたの?」

贈り物をすると、毎回「やらなくていいのに」と言われていました

そして、子供が生まれて転職でお給料も下がったタイミングでの「お中元」を贈ったときのことです

この時は母の日ではなかったのですが、お中元を「やらなくていいのに」と言われました

思い切って、「んー?やらなくていいものなのかな?」と母に聞いてみました(冷や汗かきながら(笑))

話がお中元の話になってしまうのでそれは別の記事で深堀したいのですが、

 

その時は、私は、こういう行事を義務としてやっていて辛く感じていました。

特に、母の日は苦痛でした

(その理由は後で書きます)

 

そして、母の日とは関係ないのに、なんだかもう人間関係めんどくさくなって勢い余っていろいろな人付き合いまでもを絶ってきている事を薄々気が付いていた母でした

 

その話がきっかけで、母の日もいらないよ

と言ってくれたんですね

 

 

(心の声)とってもラッキーでした…

 

確か、父と一緒にこう言ってくれました

 

「誕生日か母の日か、とにかく一年に一回メールくれたらそれでいいわよね。どこもそのくらいなんじゃないの?」

 

 

そして晴れて?母の日をやらないことになったのでした

 

年間行事で母の日が一番苦痛だった理由

(父の日のことはまたちょっと違うので別記事の予定)

でも、

私にとって、やめにくかったのは実は私の親でした

私は学生時代から最近までうつ病だったりニートだったりと、親にはずっと「お世話になっていた」という感覚があります

 

結婚も婿養子なこともあったり、物理的距離も義理実家に比べて近かったし、何かと世話を焼いてくれています

 

私は、夫のように言葉で感謝を伝えたりは苦手なので、

逆に、「贈り物しときゃ最低限のやるべきこと親孝行はクリアしてるでしょ」みやいな、なんていうか、変な安心感もありました

 

本当は感謝したいのに照れて天邪鬼で、でもその唯一の手段だったのが母の日でした

でもその贈り物ですら義務になって、感謝の気持ちがねじれていました

 

それと、逆に、夫の親とは関わりたくないと夫にも言ってるのに自分の親ばかり気にかけるのも心のどこかで引っかかりもありました

 

このあたりが、母の日が特に苦痛だった理由です

「感謝するべき」なのに「感謝できない自分」を毎年思い知らされるからでした

 

でも、結果的に、こういうしがらみや常識を一旦無視してみたら結果的には良かったです

「べき」ことなんて何一つないんです本当は。

以下にそのことと

そもそもどうして辞めることにしたのかと、やめたら感謝できるようになって本来の目的が果たせるようになったよ、という話をしたいと思います

 

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実母へ母の日のプレゼントを辞めたかった理由

  • 年間行事が嫌い
  • プレゼント選びが苦痛
  • 感謝できない自分が嫌い
  • 金銭的に余裕がない
  • 子供が出来て金銭的に親より自分の家族を守りたい

 

年間行事が嫌い

私は元々、行事物と言うのはしっかりやらなければいけない物、それが常識、って考えていました

なので、それがすごくプレッシャーで毎年毎年同じ時期に同じような憂鬱を繰り返して生きてきました

 

プレゼント選びが苦痛な理由

そもそも、プレゼント選びというのがとても苦手で、友達にあげるのも苦手です

もらう方はなんでも嬉しいとわかっていても、どうしても考えすぎてしまって何ヶ月もかかるし、結局わからなく商品券とかになります

 

特に私の母は、聞けば「何もいらない」「何も欲しいものはない」と言うばかり

聞かなくても、母の欲しいものって本当にわからない…

 

 

なので、消え物(食べ物や消耗品)がいいだろうと思っても、晩年お菓子がやめられなくて太ってしまって、お菓子はあげにくい。

外食が多いのでお肉や珍味など食べ物は消費できない

果物だと、父に食べられて終わり(笑)

 

父に食べられて終わりでもいいんですけどね、次に父の日来るじゃないですか?父って、母の日とどっちが良かったかみたいなの評価するんですよね…

(ほっとけばいいんだろうけど)

 

そうすると、母の日のグレードを父の日より下げて、だけど「母に贈りたい」って気持ちもあるので、もうどうしていいかわからない

父の評価はほっときゃいいんだけどさ…

 

そういうの、毎年毎年、年明けくらいからそわそわ、グダグダ悩んでしまって、「何でこんなことしないといけないんだろう」って気持ちがすっごく出てきてしまいました

自分、なんでこんなことに半年も悩んで時間費やしてるんだろうって。

 

 

感謝の気持ちを送る日のはずなのに義務になってしまってました

 

 

母の日をやること=感謝にはならない

でも、それってなんか違うんですよね

本来は「お世話になってる」から=母の日をやりたい

となるんじゃなくて、

感謝したい、でも恥ずかしい、じゃぁどうしようかな?そうか「母の日をやろう」

と、大義名分にのっとって恥ずかしくなく感謝つたわればいいなって今まで思ってました

 

でもその母の日が「感謝する日」なのに、気持ちはドンドン違う方向に。

義務化してしまったし、母の日が嫌いだし、母の日やってはいるものの、

例えば、ごちそうになったときに「ごちそうさま」もいえない、何かやってもらったときに「ありがとう」もいえない

こんなの母の日やってるからって、感謝できてますか?

 

感謝したいのに、母の日が苦痛で

どっかの企業が考えたような、プレゼント買わせ大作戦のせいで、追いつめられて感謝できない子供がもっともっと感謝できなくなって、自分の中の親との関係がぎくしゃくするなんて、くやしいじゃないですか

 

だから、はっきりと自分の大切なものだけを見ることにしました

ちょっと考えが飛躍するのですが、

私はこのまま母に感謝を伝えることはできないかもしれない

でも、その悩んだ分の労力や、嫌々になってしまったプレゼント代を今度はその分子供と夫と自分の家族のために、使って、自分が幸せになろう

だから母の日は思い切ってやめよう

そうすると、

心が穏やかになって自然と感謝できるようになりました

 

だから、今までずっと言えなかった「いつもありがとう」というメールを送れるようになりました

もちろん、プレゼントや食事会とか豪華におもてなししてもらったら親だってかなり嬉しいと思います

 

でも、自分の子供が、それらを苦痛におもってたり、

お金がないことを知っていながらごちそうにはなりたくないと思ったんです

 

つまり

母の日をやめたら、、感謝できるようになって本当の意味で母の日ができるようになりました

でもそうすると面白くって、お金に余裕がなくても、食事会とかしたくなってくるんですよね

 

ということで、感謝したいのに母の日のプレゼントをやめた理由と、常識に縛られてストレスになって本末転倒になってたけど、一度思い切って非常識になってみたら本当に大切なものを見つけたよ

というお話でした

お読みいただきありがとうございました!

 

 

 

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