小さい頃から、「神様が見ているからいい子にしなきゃ。」「日頃の行いだよ。」「生かされていることに感謝をしろ感謝を。」と育てられた私は、20歳ごろに「いい子にしたのに何でこんな目にあうの?神様なんかいないじゃないか」と思いました
神様なんかいない。自分を犠牲にして、何もいいことなんか起きない
もっと、「自分がどうしたいか。」「もっとわがままに生きろ。」と思うようになった私
そんな私も親になりました
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そしてずっと考えていた質問の答えを持ち合わせないまま、子供は大きくなりついにこの質問をぶつけてきた
「ねぇお母さん?神様っていつも見てるの?悪いことしたらバレちゃうの?」
「ねぇお母さん?神様っていつも見てるの?悪いことしたらバレちゃうの?」
この質問がくるまで、私は、この問いの答えをずっと探していた
私自身は、
「神様はいない。逃げたいならにげればいいし、ちょっとくらい悪いこと(犯罪じゃない事。たとえば仕事中ちょっとさぼって休憩しちゃうとか、小学生ならハンカチちり紙もっていかなくてもいやとかそんな程度のやつ)なら隠れてやっちゃうくらい気軽に考えた方がいい」と思ってるし、
心配性な娘もそうなってほしいと思ってた
だからそれまでは「自分の中にいる自分がいいよって言うならいいんだよ」という風に言おうと思ってた
でも、実際に7歳になってみると、
「神様はいるよ、いつも見てるよ(だからいい子にしたほうがいいよ)」これ
すっごい便利で、楽な言葉だったの
自分で気が付いてすごくショックだったw
小学生になって、子供はだんだんと子供だけで行動するようになってくる
そんな時、神様(親と同じ価値観をもった大人)がいつも見ている
こう思わせることによって、うちの子の場合はかなり安心感がでる
うちの子は真面目だから、これを言うことで、漫画に出てくる学級院長みたいになる
多少の悪いこと(他人の家の敷地に入って近道しちゃうとか、公園の水道を出しっぱなしにして遊んじゃうとか」
そういうこと、って今の時期しかできない事で、友達がやってたからという理由で、やっちゃうくらい子供らしくていいと個人的には思ってる
でも、実際にそれを親として許してしまうのは違うし、その程度と思っていたことが大事になって、賠償金とかの話までなってしまったらめんどくさいので
やっぱり「神様はいるよ」が便利なの
でも、神様はいないと思う
私は自分の子育てにひそかにモットーがあって
筋を通したいっていうのがある
例えば、「いうこと聞かないと置いて行っちゃうよ」と。絶対おいていくわけないんだからそういうことを言いたくないなって思ってた
でもすっごく効果があってすっごく便利なんだよ。
こういうことにこだわる自分は、自分で自分の首を絞めていて融通が利かない自分めんどくさいなってすごく思う
まぁこれについては答えは出てないんだけど、さてさてどうしようかなと思ってます
自分の中の自分、っていうのは7歳にはまだわかってないというか、
行ってみたら普通に悪いことし始めたので、やっぱり神様ってこの年代には大事なのかも…(お手上げw)
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