また子育てが辛くなった未来の私へ。
現在3人目妊娠中で、元々子供は好きじゃなかったけど、産みたくなって
産むなら三人ほしいと昔から言っていた
理由についてはまだどこにも書いてないけど、いつかかくとして
だけど、子供を二人産んで、子育てが大変で、もう子供と関わるの早く終わりたいななんて本音があったから
三人目は諦めていた
諦めていたというのは、完全に「産まない」と決めかねていた感じで
子供服の整理をしても結局捨てられずにいた
そんな中、え?いつしたっけ?というタイミングで3人目を妊娠
産みたくない。という気持ちは誰にも言えず
お金もないし育てられるのか?
二人だって無理そうなのに?
だけど、とこかで三人目を諦めきれていなかった自分もいたわけだから
なんだか、迷いながらもこれでスッキリするなと思いながら妊娠は続いた
そんな中、三人目ともなると、妊婦だからどうのとかあまりなくて(つわりで栄養とかもほぼとってないけど)
葉酸サプリのことなんかすっかり忘れていた23週の健診で
先生が何も言わずにエコーを当てている長い時間があった
その時ぼんやりと、この時間ってこんなに長かったっけ?
先生によるのかな?
なんて呑気に思いながらもなんとなく不安を感じた
前回も同じ先生で、確かに他の先生より念入りに?じっくりみてる気がして、
そのときは、「若干小さめだけど、問題ないですよ」と言われた
そんな感じで前回も不安に感じたのを覚えてたから
そんなもんかなと思った
だけど、おもむろに先生は口を開き
「赤ちゃんの心拍が、ゆっくりで戻らないですね」
ふむ?
心拍が確認できないとかではないんだけど、普通の半分くらいの心拍しかなかった
たまに心拍が遅い時はあるらしいのだけど、なかなか戻らない
その後通常に戻ってきて、またしばらく見ていたけど、また遅くなる
その後、心拍を測るための部屋に移動して、心拍数を記録した
その部屋は妊娠後期には全員行くところで、私も行くのは三回目
だけど、今日ここにきて、改めて感じた
ここに、こんな不安な気持ちできたのは初めてだと
上の子の二回の時は、「こんなのなんの意味があるんだろう?」と、ありがたいことにそう感じて
測ってる間、本当はたまに胎動促すためにお腹を揺すったりしないといけないのに、うとうとしたり携帯いじったりして、余裕ぶっこいてた
だけど、今回は、どうだろう
ただじっとなるべく動かないように、息すら止めていたような気がする
でも親が苦しくなれば子も苦しくなるので良くないから、なんか緊張して呼吸をした
というのも、エコーの時に、私の呼吸音と重ならないように息を止めて検査もした(先生は聞き分けられるらしいことも知り、先生ってすごいなと改めて思った)
心拍を測る機械をつける時には、普通はこんな小さな子にはまだつけないから、看護師さん二人がかりでもつけられなくて
先生が来て、探りあてて固定してくれた
この先生はまだとても若く見えたんだけど、やっぱ先生ってすごいなって思った(小学生の感想かっ!w)
心音が響き渡る
二人産んだ経験から心音自体には馴染みがあった
だけど、こんなに真剣にお腹の中の子の鼓動を聞いたことはなかった
よく聞くと調子の良い時は馬が走ってるような音だった
そんな事今まで気がつきもしなかった
パカラッパカラッパカラッ
ってくらい赤ちゃんの鼓動は早いことを知った
そして、同時に、産みたくないと言っていたのは本心じゃなかったんだとも知った
上の子の癇癪に疲れていて、正直、この子が死んでしまったら私は悲しむのかな?なんて考える毎日だった
だけど、そんなのもきっと、ただの無い物ねだりで
死んでしまったら悲しいどころではない筈だと
改めて感じた
私はその心音を聞きながら
一人目を産んだ時のことを思い出した
寝ない子で、今思ってもかなり手のかかる子だった
だけど、毎日可愛いの連続で、子育ては大変だったけど楽しかった
毎日どこに出かけようか、一緒にどこを見ようか
ワクワクしていた
おんぶ紐の中に自分の一部のようにいつも一緒にいた
ずり這いも、ハイハイもなかなかしなくて心配したり
初めて進んだ時の感動を思い出した
忘れていたわけじゃない
だけど、そのありがたみや嬉しさはすっかり抜け落ちて、今のわがまま癇癪に塗り替えられていた
下の子は今はまだよく笑い言うことをよく聞いてとても可愛い
だけど、一人目特有のあの輝かしい日々はなかった
ただ慌ただしくすぎて気がついたらもう2歳がとうに過ぎていた
まだ子育て5年の新米だけど、なんだか不思議な感覚だった
幸い、心拍の異常はそれ以降はなく、あったとしても何もできないと言われた。
家でこまめに胎動を確認するようにということだけ言われ帰宅した
そういう日に限って胎動をなかなか感じられないけど、
とりあえず一回は動いたようだった
私はこの子を産みたいのだろう
関連記事
コメント