- イベントがなんとなく苦手…
- やらない選択肢なんてないと思ってた
この記事では、いろいろめんどくさくて、私がやめた年間行事や付き合い、手を抜いて形だけやることにした行事などをまとめました
こんばんにちは、汚いミニマリストのビーチサンダル吉永です。
年間行事って、その季節が来ると「やらなければならない」という義務感に襲われて、気がつけば本来の意味を見失い苦痛なだけになっていました
辞めるまでは、周りの(特に家族の)冷たい目や驚きなんかとの戦いもありますが、意外とやめてみると、改めて本当の意味で行事ができちゃったりするとこもありました
なので、義務感に囚われて苦痛になっている方の参考になればいいなーと思ってまとめてみます
手を抜いた簡易版にした子供関係のお祝い
- お宮参り
- お食い初め
- お雛様
- 七五三
- サンタさん
手抜きで再開したイベント
- 誕生日
- お花見
やめた年間行事
- 年賀状
- 七草粥
- バレンタイン
- エイプリルフール(?)
- 母の日・父の日
- お中元・お歳暮
- クリスマス
- 大掃除
- 大晦日(?)
- 初詣
やめた付き合い
やらなかった自分たちのお祝いやイベント
- 結納
- 婚約指輪
- 結婚指輪
- 結婚式パーティー等
- 新婚旅行
きっかけは「頂いたら返す」に違和感
いろいろな行事が嫌になった理由は
「頂いたら返すのが当然の礼儀」に違和感があったからだと思います
それが広がって、人づきあいや、義務感だけでやるイベントなどに繋がったような気がします
もちろん、実は今でも「頂いたら返す」が常識で礼儀だと思っています
でも、それがとても苦痛で違和感があります
その理由は大きく分けて2つ
一つ、もらったときに「返さなきゃ返さなきゃ、何がいいかしら…」となる母を見てたこと
二つ、大人になり、親せき関係はもちろん、親とは関係ない交友関係でもそれを私にも同じように言い聞かせてきた事(当然ですが)
一つ目の、親の対応ですが、
「どうしよう」といいながら必ずため息をつくのです。
母はそんなつもりはなくても、私には頂いた事をありがたいと思っていても、嬉しいとは思っていないのではないか?と感じていました
というより、私がそう感じるようになりました
頂いたことがありがたいよりも、お返しをしないといけないからもらいたくなかった。そう感じてしまいます
それは、「絶対に返さないといけない」という義務感からだと思います
例えば、一人で留守番していたときに近所の方から何か頂きました
それを後で母に言うと「ええ?頂いたら家にあるもの何か返さないとだめじゃない」と言われてきました
でも、家にあるものでどれを渡せばいいのかなんて、わかりませんでした
それを繰り返すと「何度言ったらわかるの?」という母の対応に代わってきます
実際には母はそんな言い方はしないのですが、母の期待に応えられない自分というのが嫌でした
だから、段々と、近所人に会うのも嫌になったし、頂き物をもらうのが怖くなりました
これは、子供にもよるとは理解しています
そんなこと言われてもへっちゃらで気にしない子もいると思います
でも私は違ったんですね…
違和感から逃げたら感謝できるようになった話
そして私は違和感を認めて贈り物系をまず一切やめました
すると、お返しが自然と出来るようになりました
例えば、いつももらっていて嬉しいとき、別の機会に、ふとした瞬間に、あ、いつももらってるからお返ししたいなとなるのです。
私は友達が2人います
そのどちらも、最近は誕生日を祝ったことがありません(昔はやってたけどやらなくても友情が続いてる)
しかし、いつも二人はタイミングが合えばケーキを手土産に遊びに来てくれるときがあります。
私は、あえて?何もお返しはしませんでした
だけど、そうやって自分で義務感から逃げ出してみたら
たまに一緒に食事をした時などに、いつももらってるから嬉しいから今日はご馳走しよう。
そうやって自然と心からの感謝でやり取りができるようになりました
してあげたい。と思えるようになったのでした
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